その日、康夫は携帯を新機種に変えて、ご機嫌だった。
「今の技術って、すごいよな。電話番号とかメールとか写真とか、古い携帯に入っているデータをそのまま新しい携帯に移すことができるんだぜ」
仁美の部屋に遊びに来ていた彼は、まるで宝物を手に入れた子どものように仁美の隣でずっと携帯をいじっていた。テレビのお笑い番組を見ていた仁美だったが、彼が携帯を手にするたびに何度かロック解除していたので、パスワードが何であるかを覚えてしまった。
「その日、ふたりでワインを飲んでいたんですけど、そのうち彼がソファに横たわって眠ってしまって。いけないことだとはわかっていたけれど、携帯のロックを解除して、まずはLINEをチェックしたんです」
「幼稚園の父親参観には、出てあげてね」
するとトーク履歴の上のほうに「なっち」という女性の名前があった。開いてみると、ワインの酔いが一気に冷めた。
「月末は帰ってこれる?」
「できるだけ帰れるようにするよ」
「◯月◯日のゆうきの幼稚園の父親参観には、出てあげてね」
そのメッセージの下には、女性と小さな男の子がほおを寄せ合い自撮りされている写真があった。携帯を持つ手がワナワナと震えた。
「ちょっと起きて!」
ソファでうたた寝をしていた康夫を揺さぶり起こし、「これ、何?」と、携帯の画面を顔の前に突き付けた。
「あっ」
康夫は一瞬ギョッとした表情になったが、怒りでワナワナ震えている仁美に、ひたすら「ごめん」と繰り返した。
「いつかは言わなきゃと思っていたけど、仁美を失うのが怖くて言えなかった」
実は康夫は既婚者で、単身赴任中だったのだ。
既婚男性が独身を装っていて、それがバレたときに決まって言うセリフがある。
「妻とはもう何年もうまくいっていないし、離婚を考えている」
康夫も、こう言ってその場を収めようとした。しかしLINEのやり取りと妻と子どもの笑顔のツーショット写真を見るかぎり、康夫の夫婦関係は良好のようだった。
既婚者とバレた夜は大げんかとなり、泣き叫ぶ仁美に何度も謝り、事態が収拾しないままに、康夫は部屋から逃げるように退散したという。
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