「偽装死」で別の人生を生きることはできるか 偽装死を考えると「生きる」の意味が鮮明化

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それでも、偽装死亡をなしとげて、5年間隠れおおすことに成功した男がいる。イギリスでカヌーマンとして広く知られるジョン・ダーウィンである。この男、カヌーに乗って海に漕ぎ出したまま行方不明になり、まんまと保険金を受け取ることに成功し、潜伏する。もちろん保険金を受け取ったのは本人ではなく、妻だ。偽装死亡の後、どこで過ごしていたたとお思いだろうか? なんと、ほとんどの時間を自宅の2階で過ごしていたというからびっくりだ。あることがきっかけになって、生存していることがわかり、逮捕される。偽装死亡だとはつゆ知らなかった息子二人は激怒し、絶縁状態になる。完璧な共犯者であった妻とも仲違いする。にもかかわらず、ダーウィンは相変わらずえらく意気軒昂だ。実話とは思えない驚愕のエピソードである。

死亡を偽装をしようとする人がいれば、実際には死んでしまったのに、死んだはずがないと信じ込んでもらえる人もいる。かつてはエルビス・プレスリーであり、現在ではマイケル・ジャクソンだ。カヌーマンの次には、そういったことを信じる「ビリーバー」たちを尋ね、その心理を探り、偽装死亡をいわば裏面からながめていく。意外にも、ビリーバーたちはえらくまともな人たちだ。それだけに、マイケルが生きているとして挙げられている証拠を読んでいると、ひょっとしたら、と思えてきてしまう。

生きていくとはどういうことなのか

『偽装死で別の人生を生きる』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

カヌーマンの息子たちと同じように、親が偽装死亡したことを知らずに過ごし、後に知るにいたった子どもがいる。カヌーマンの妻と同じように、偽装死亡の共犯者になるようにと命じられた子どもがいる。その人たちは、大きな心の傷を負うことになった。ここまでネガティブな取材内容を手にしたにもかかわらず、グリーンウッドはひるまない。いよいよ最後の章では、フィリピンで自分の死亡証明書を手に入れることに成功する。

結論から言えば、偽装死亡はきわめて困難であるし、やるべきではない。なんといっても犯罪、それも多重犯罪になる可能性が高いのだから当然だ。もし、あなたが、死亡を偽装してまで人生をやりなおしたいと真剣に考えているのなら、絶対にこの本を読むべきだ。そんなことをするくらいなら、まっとうな生き方を続ける方がはるかにたやすいということがわかるだろう。そんなことは考えないという大多数の人にとっては、数多くの驚くべきエピソードを読みつつ、はたして生きていくとはどういうことなのかについて、不思議な角度から考え直すことができる1冊になっている。

仲野 徹 大阪大学大学院・生命機能研究科教授

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なかの とおる / Toru Nakano

1957年、大阪市旭区千林生まれ。大阪大学医学部卒業後、内科医から研究の道へ。京都大学医学部講師などを経て、大阪大学大学院・生命機能研究科および医学系研究科教授。HONZレビュアー。専門は「いろんな細胞がどうやってできてくるのだろうか」学。著書に『こわいもの知らずの病理学講義』(晶文社、2017年)、『からだと病気のしくみ講義』(NHK出版、2019年)、『みんなに話したくなる感染症のはなし』(河出書房新社、2020年)などがある。

 

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