ドムドムの落日とマクドナルドとの深い因縁 ダイエー創業者が見た夢はここに潰えた

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中内は取引先の食品メーカー、コーヒーメーカーなどとプロジェクトチームを立ち上げ、試作を繰り返した。1970年2月、株式会社ドムドムを設立。ダイエー町田店内に日本最初のハンバーガー店「ドムドムハンバーガー」1号店をオープンした。これを機に中内はダイエーの店舗内や店舗の近く、また「KIOSK」と取引があった関係で、JRグループの駅構内や駅の隣に出店していった。

日本人にカルチャーショックを与えた

藤田田が銀座三越の1階に日本マクドナルドの1号店を開店したのは、「ドムドムハンバーガー」が1号店を開店してから1年5カ月後の1971年7月のことであった。マクドナルド銀座店は当初15坪(50㎡)の持ち帰り専門店であった。

ハンバーガー1個80円、コーヒー1杯50円、コーラ1杯60円。当時の大卒初任給が4万6400円。同年8月から日曜祭日に限り歩行者天国がスタート、銀座通り(公道)にはパラソルを広げた丸テーブルがあちこちに出現した。公道がマクドナルド銀座店の臨時の客席として使われた。また左手にコーラ、右手にハンバーガーを持った若者たちが、ハンバーガーを歩きながらパクついたり、コーラを飲んだりした。マクドナルド銀座店は開店2~3カ月もすると、歩行者天国の若者や家族連れなども取り込み、日商が100万円を突破した。

日本マクドナルド社長の藤田田は著書『ユダヤの商法』の中で、「ハンバーガーの客は1日に1万人以上。ハンバーガーと一緒に売れるコーラが1日6000本」と記している。予想以上に売れて、働き詰めのレジがよく壊れたと書いている。

マクドナルド銀座店は米国風の食スタイルを出現させ、日本人にカルチャーショックを与えた。一方、ドムドムは日本発祥のローカルハンバーガーの域を出ず、藤田マクドナルドのようなインパクトに欠けた。多くの日本人がドムドムではなく、マクドナルド銀座店が日本最初のハンバーガー店だと思った。藤田は銀座店の大成功をバネに、その後、全国3000店舗を超す巨大なハンバーガーチェーンをつくっていった。

日本マクドナルドが大成功したのは、「出資金50%:50%」「社長以下全社員を日本人とする」という日本優位の条件で、社長の藤田が「文化は高きから低きに流れる」と、日本文化の発祥地である銀座で1号店を始めたことが大きかった。

特に米国マクドナルドに支払うロイヤルティを破格の条件で決めたことが、成功を決定づけた。日本マクドナルドは米国マクドナルドと藤田商店との合弁企業として設立された。日本マクドナルドに対しては、米国マクドナルドがハンバーガーの製造・販売に関するマニュアル、スペック、オペレーションシステムを提供し、藤田商店がマネージメントサービスを提供するという取り決めであった。

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