「20兆円、徳川埋蔵金」は本当に実在するのか 隠し場所は「赤城山」か「あの場所」か?

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Q2. これらの埋蔵金は、すでに発見されたのですか?

上記の例ではまだ見つかっていませんが、近年の都市開発等の工事現場で、掘り出された甕(かめ)から偶然、「大量の金銀貨幣」が見つかってニュースになるなど、実際の発見例はいくつもあります。

「赤城山」が有力な隠し場所?

Q3. ズバリ、徳川埋蔵金はあるのですか?

おそらくは存在したでしょう。

確かに江戸後期には、幕府は度重なる財政危機に見舞われ、そのつど改革が行われるなど、非常に厳しい財政状況だったことは事実です。

しかし、江戸城が明け渡された際に金蔵がまったくのからっぽだったというのはいかにも不自然で、その額はともかく、幾分かの備蓄が幕府にないわけがありません。

Q4. では、有力な「隠し場所」の候補は?

しばしば「群馬県の赤城山麓」という説がテレビなどでは取り上げられています。ただ、信憑性には疑問符がつき、いまだに埋蔵金の発見には至っていないのが現状です。

Q5. なぜ「赤城山説」が取り上げられるのですか?

赤城山麓説の根拠は、「幕末期に勘定奉行を歴任した小栗忠順(ただまさ)が、ひそかに自分の領国の赤城山付近に運んだから」といわれています。

小栗は、開国後に幕府側でフランスと協力して「横須賀製鉄所」(後の横須賀造船所、現在は米軍横須賀基地になっている)を建設した人物です。

勝海舟、榎本武揚、大鳥圭介らと並ぶ開明的な幕臣で、官軍側が最も警戒した人物でした。そのため、このような説が流布されたようです。

ただし、このほかに「もうひとつ有力な候補地」が存在します。それが、冒頭に挙げた「蒸気船」に関する、「ある不可解なエピソード」なのです。

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