今では想像できない「あの時代」の銀行の姿 乱脈融資に反社会勢力とのつながり

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一方、住専は不動産融資にのめり込んでいった。末野興産など問題会社への貸し出しも膨らんだ。しかも、母体行といわれる親銀行から、銀行本体では融資をしたくない質の悪い融資先を紹介されたり、すでに不良債権化した融資の肩代わりをさせられたりと、住専は掃きだめ扱いだった。

都内から数時間かかる地方の別荘地。しかも別荘がある土地は崖地だった。だがその土地を担保に数億円の融資が行われた事例もあった。

「反社会勢力」が跋扈、侵食された大手銀行

反社会勢力とのつながりがある「企業舎弟」と深い関係にある不動産会社にも、銀行やノンバンクは融資をした。1社で数千億円もの融資を受けていた企業も複数あった。

ある反社会勢力とつながりのある不動産会社は、かつてラブホテルをいくつか経営していた。そこへ銀行から舞い込んできた話は、飲食店やキャバクラなど風俗店が入っている商業ビルを買ってくれないか、というものだった。

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そのビルのオーナーは家賃滞納で困っていた。テナントのほとんどは暴力団とつながりがあり、取り立てに行けば命の危険さえ感じることもあった。ビルオーナーは「このビルを売りたいので買い手を探してきてほしい」と銀行に泣きついた。そこで銀行は、同じ反社会勢力とつながりのある、この不動産会社にお願いすることになったのだ。

こうしたトラブルシューティングも含めた不動産取引で銀行と反社会勢力が深くつながりを持つようになった。

なぜ、銀行は行き過ぎた担保主義の下で乱脈融資を続けたのか。

少なくとも、80年代は大蔵省による金融行政が銀行経営の根幹だった。出店規制も新商品規制も、許認可を通じて行政が一番の権限を持っていた。一方、大蔵省の指導に従っていれば銀行は潰れない、という神話が続いていた。現在のような、「金融検査マニュアル」に基づく検査もなかった。

経営基盤の弱い銀行に基準を置いて、過当競争が起こらないように、いわゆる「護送船団方式」が取られていたのだ。

急激な円高とカネ余り、内需拡大への政策シフトの中で、銀行は一斉に融資拡大に走った。この護送船団行政の下で、あとは大蔵省の指導を待っていればどうにかなる、という銀行の甘えがあったのかもしれない。天下りを受け入れるなど、官民癒着もあった。

しかし、その行政指導は皮肉にも「総量規制」の形でバブル崩壊につながっていった。

木村 秀哉 東洋経済 記者

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きむら ひでや / Hideya Kimura

『週刊東洋経済』副編集長、『山一証券破綻臨時増刊号』編集長、『月刊金融ビジネス』編集長、『業界地図』編集長、『生保・損保特集号』編集長。『週刊東洋経済』編集委員などを経て、現在、企業情報部編集委員

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