今では想像できない「あの時代」の銀行の姿 乱脈融資に反社会勢力とのつながり
まず首都圏でバブルが先行した。都内の一等地はもちろん、ウォーターフロント(湾岸エリア)などでも再開発が動きだしていた。新宿、渋谷、赤坂……。都内の至る所で「地上げ」が行われていた。地上げはしだいに悪質なものへと変わっていった。カネで動かないなら、嫌がらせで退去させる。そこには反社会勢力がかかわり、企業や金融機関とつながるキッカケにもなった。
東京バブルからやや時間を置いて、大阪、名古屋、京都などの大都市圏の地価も高騰していく。さらに87年には総合保養地域整備法(通称、リゾート法)が制定されたことをきっかけに、地方にまで飛び火する。
ノンバンクを通じた質の悪い融資競争
バブル後半になってくると、銀行はさらに融資拡大を加速させた。銀行本体の大口融資先はノンバンク、不動産業、建設業が大半を占めるようになる。この3業種は土地取引の絡む融資が多かったからだ。
特に、系列ノンバンクは事実上、銀行の別動隊といってもいいだろう。地価高騰に拍車がかかる中、案件も多く、銀行本体で融資を拡大するには担保評価や査定業務に時間がかかるようになる。そこで系列ノンバンクにその役割を任せ、危ない融資に手を出していった。
一方、企業の「財テクブーム」も過熱し、事業会社自ら「××ファイナンス」といったノンバンクを設立し、銀行融資をテコに株式や土地の投機に走った。
ノンバンクの中でも悪名高いのが、住専(住宅金融専門会社)だ。バブル以前は住宅ローンなど個人向け融資に力を入れていなかった銀行が、当時の大蔵省主導の下、住宅金融専門の会社を共同出資で設立したのが始まりだ。たとえば三和銀行などが出資していた「日本住宅金融」、日本興業銀行、日本債券信用銀行が中心となって設立した「日本ハウジングローン」、富士銀行、住友銀行など都銀が中心となって設立した「住宅ローンサービス」、住友信託銀行など信託銀行が設立した「住総」などだ。
80年代後半になって大企業が間接金融離れを起こす。銀行からの借り入れに頼るのではなく、資本市場から資金を直接調達するようになると、銀行は住専のテリトリーだった住宅金融市場へ注力し始める。
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