JR発足時「バブル」は鉄道に何をもたらしたか 好景気に沸いた時代に生まれたJR
いわゆる「バブル経済」が崩壊したのは1991年ころ。それ以降景気は低迷し、日本は「失われた20年」へと突入した。近年は「アベノミクス」によって景気の上向き傾向もささやかれるものの、疑問の声は根強い。そんな中、バブル時代を回顧する内容の本が書店の店頭に並ぶなど、あくまで「泡」であっても日本全体が好景気に沸いた当時への関心が高まっているようだ。
バブル期を語る上で鉄道がその要素となっているケースはあまりないようだが、国鉄が民営化され、JR旅客6社と貨物1社が発足したのはいまから30年前、1987年4月1日のこと。「国鉄解体」という日本の鉄道史上最大のできごとは、ちょうどバブルの時期に重なっていたのだ。
そんなバブルの時代の鉄道、特にJRは、どのような状況にあったのだろうか。
「豪華」さは時代のキーワード
JR発足後、各社は好景気の追い風を受けて次々と新しいことに取り組んだ。その代表例は「豪華寝台列車」だ。1988年秋にはオリエント急行の来日という大イベントもあり、豪華列車への関心が高まった時期だった。
1988年3月の青函トンネル開業に合わせ、JR北海道・東日本は上野-札幌間で豪華寝台列車「北斗星」の運行を開始した。シャワーのある個室、予約制でフランス料理のコースを提供する食堂車といった豪華な設備が注目を集めた。
さらに翌年にはJR西日本が大阪-札幌間で「トワイライトエクスプレス」の運行を開始。展望を楽しめる個室寝台車が人々の度肝を抜いた。いずれも国鉄時代には考えられなかったような寝台列車で、特に鉄道に関心のない層を含めて大きな話題を呼んだ。
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