JR発足時「バブル」は鉄道に何をもたらしたか 好景気に沸いた時代に生まれたJR

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1980年代後半から90年代初頭にかけて東海道・山陽新幹線の花形だった100系(写真:喜多 / PIXTA)

バブル期から崩壊後へと至るそのプロセスで、大きく変化していったのが新幹線だ。東海道・山陽新幹線には国鉄末期の1985年以降、開業時からの0系以来となるフルモデルチェンジの新型車両100系が投入されていた。2階建て食堂車やグリーン車を連結した点が大きな注目を浴びたが、JR化後には、これをさらに豪華にした「グランドひかり」と呼ばれる編成が登場した。1989年3月11日のことだった。

JR西日本が導入したこの「グランドひかり」編成の特徴は、2階建て車両を2両から4両に増やし、編成中の全てのグリーン車が2階建て車両(の2階)となった点だ。東京-博多間の「ひかり」に投入され、東海道・山陽新幹線のフラッグシップとなった。

だが、1992年の「のぞみ」登場時にデビューした300系には、2階建て車も食堂車も連結されなかった。新幹線は豪華さよりも高速・大量輸送のためにいかに効率的な車両・サービスを生み出していくかが重要視されるようになり、食堂車などの「ゆとりの空間」は次第に姿を消していった。その究極の姿が、全編成の編成両数・座席数が統一された現在のJR東海の新幹線車両である。

最近の豪華列車はどう評価される…?

日本がバブルに沸いたJR発足当時は、従来では考えられなかったような列車が新しい試みとして各地を走るようになった。それから30年、JR発足初期に各社が進めた在来線特急列車のスピードアップや都市圏の路線へのテコ入れは、現在に至る各社の屋台骨ともなっている。

一方で、豪華寝台列車の「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」は姿を消し、数多く登場したジョイフルトレインもほとんどが姿を消した。

最近のJRでは、「ななつ星 in 九州」「トワイライトエクスプレス瑞風」「トランスイート四季島」といったクルーズトレインが注目されている。これらの列車が果たしてアベノミクスによる景気拡大の証拠になるのか、それとも格差拡大の証拠になるのかは、のちの時代にならないとわからないだろう。

小林 拓矢 フリーライター

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こばやし たくや / Takuya Kobayashi

1979年山梨県甲府市生まれ。早稲田大学卒。在学時は鉄道研究会に在籍。鉄道・時事その他について執筆。著書は『早大を出た僕が入った3つの企業は、すべてブラックでした』(講談社)。また ニッポン鉄道旅行研究会『週末鉄道旅行』(宝島社新書)に執筆参加。

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