JR発足時「バブル」は鉄道に何をもたらしたか 好景気に沸いた時代に生まれたJR
また、国鉄時代の末期からこの時期にかけては、旺盛な団体旅行の需要を受けてお座敷やサロン、展望席などを備えた「ジョイフルトレイン」と呼ばれる車両が数多く登場し、団体列車や臨時列車に使われた。
このような「豪華」「派手」といった雰囲気は、今から見ればいかにもバブル期らしいイメージだ。だが、これらのほとんどは、国鉄時代に使用されていた車両の改造だった。豪華寝台列車である「北斗星」「トワイライトエクスプレス」も新造車両ではなく、当時すでに登場からある程度年数の経っていたブルートレイン用客車24系を改造し、食堂車にいたっては当時余剰となっていた485系特急形電車の食堂車を改造して使用していた。
JRのスタート時は好景気に恵まれたが、その需要に対応した新型車両などの開発には投資と一定の期間が必要だ。国鉄末期は円高不況と呼ばれた不況期であり、JRへの移行という大変化の中で、将来に備えて大規模な投資を行なうのは困難だった。まずは民営化を成功させ、その中で好景気の追い風を受けるにはどうするかという問いへの答えが、費用や期間を節約できる中古車両の改造だったのだ。
平成に入ると新型も続々登場
JR各社が独自開発した新型車両が登場しはじめたのは、JR発足から1年が経過したころからだ。特に昭和から平成へ入った1989年以降、新車導入の動きが活発化した。各社は主に、需要の高い昼行特急を中心に新型の導入を進めた。
各社の中で最初に登場した新型車両は、1988年3月にデビューしたJR九州の特急電車783系だった。翌年3月には、在来線初の時速130キロメートル運転を実現した「スーパーひたち」が常磐線で運行を開始し、JR四国には世界初となる振り子式気動車の2000系試作車が登場した。一方、JR西日本は特急ではなく、京阪神地区の「新快速」用221系電車を投入した。
いずれも国鉄時代の車両とは大きく異なる外見で登場し、新生JRを印象づける看板ともなった。
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