「オレンジと緑の電車」が語る通勤列車の進化 茶色の客車から電車へ、そして「ライナー」へ

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今もおなじみのオレンジと緑のカラーリングは、この80系電車から始まった(筆者撮影)

日頃、お世話になっている「通勤通学列車」。近年は首都圏の通勤電車も様変わりし、相次ぐ新型電車への置き換えや、近々には中央線の快速電車にもグリーン車が導入される予定で、通勤もだいぶ快適になりつつある。

日本の鉄道は昔から、正確な運行で通勤通学輸送を支えてきた歴史があり、そのための車両も多数開発されてきた。我々の身近にある通勤通学列車の系譜をたどりながら、今回は主に東海道本線を中心に、関東地方の近郊を走る通勤列車の歴史とその未来を考えてみよう。

「湘南電車」の誕生

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有楽町駅を通過するEF55形電気機関車牽引の列車。昭和20年代は中距離でも電気機関車と客車による列車が中心だった(撮影:大塚康生)

昭和20(1945)年8月、日本が敗戦を迎えたあとの鉄道輸送は大混乱を極め、電力、石炭などのエネルギー不足、客車不足などで、特に首都圏の列車はどれもこれもデッキにまで人があふれるほどの超満員という事態が続いた。

昭和23(1948)年になるとようやく復興の兆しが見え始め、翌年にはそれまで運輸省など省庁が運営してきた鉄道網を担う日本国有鉄道(国鉄)が発足して、戦後初の特急「へいわ」が運行開始された。戦前に沼津まで完成していた東海道本線の電化も急ピッチで進められた。

この頃の通勤列車といえば都市部では戦前からのチョコレート色の電車、今でいう「旧型国電」で、中距離輸送には機関車牽引による客車列車が使われていたが、昭和25(1950)年に、それまでの客車列車に代わるものとして開発された80系電車が「湘南伊豆電車」として東京~沼津間で運転を開始した。

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