「オレンジと緑の電車」が語る通勤列車の進化 茶色の客車から電車へ、そして「ライナー」へ
東海道本線では、国鉄最後となった昭和61(1986)年11月のダイヤ改正で、朝ラッシュ時にも着席できる座席定員制の通勤列車「湘南ライナー」の運行が開始された。今もこの列車に使用されているのが185系電車だ。
それまで湘南電車として親しまれてきた急行用153系の後継として昭和56(1981)年に登場した車両で、「185」の「8」は特急仕様車を表している。特急用電車ながら通勤通学輸送にも柔軟に対応させるというコンセプトのもとに設計・製造され、登場から30年以上経った今でも伊豆方面への特急「踊り子」や「湘南ライナー」に使われている。
座れる通勤列車への挑戦は続き、平成4(1992)年にJR東日本は切り札として全2階建ての215系電車を導入。東京から湘南方面へ平日朝晩の「湘南ライナー」1往復と、平日日中の快速「アクティー」で定員を大幅に増やした通勤電車として期待されたが、後継車E231系などの登場によって日中の列車からは撤退、現在は「湘南ライナー」などのほか、観光シーズンに走る「ホリデー快速ビューやまなし」などに運用されている。
横須賀線に2等車があったのは…
ところで、今では東海道本線をはじめグリーン車を連結した近郊電車は珍しくないが、戦前からグリーン車にあたる2等車を連結していたのが横須賀線だ。
なぜ横須賀線なのだろうか? 軍都であった横須賀に駐留している軍人用とか、鎌倉という観光地を控えているからとか、当時大船に松竹撮影所があったため、巨匠といわれた監督や、当時の映画スターの御用達だったから、などと言われてきたが定かではない。
小津安二郎監督は大船駅で大船軒のハムサンドとビールを買って2等車で食べるのが楽しみだったとか、寅さんやそのマドンナたちが撮影所の行き帰りにグリーン車を使っていた……などのエピソードから、筆者としては、後者であることを信じているのだが……。
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