結婚式の「外国人神父」知られざる驚愕の真実 「司祭」と「牧師」の何が違うか知っていますか

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島田:何か保証してくれるものが、やはりほしいですよね。何かに対して、「私たち、結婚します」という誓いを立てたくなるんですよ。

でも、人間に誓いを立てるんじゃ、ちょっとピンと来ない。誓う相手は、超越的存在であるほうがしっくりくる。神道なりキリスト教なり、「神に誓う」という要素があるスタイルに移行したのは、必然的だったんじゃないでしょうか。

翔太:でもそれだと、神道式でもいいような気がするんですけど。伝統的だし。

神道式は、伝統的?

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島田:神道式も、全然伝統的じゃないですよ。だって、神道式はキリスト教の式を模して、明治の末に作られたんですから。

翔太:え……そうなんですか?

島田:大正天皇がまだ皇太子で結婚する時に、神道式の結婚儀礼が急きょ、作られるんです。理由はお葬式の時と同じで、神道で結婚させたかったんですね。

でも、結婚式がなかった日本にはモデルがありませんから、外国人がやっていたキリスト教の式をまねたといわれています。

その儀礼に倣うかたちで、日比谷大神宮、現在の東京大神宮というところが神前の結婚式スタイルを発表するんですが、当時はほとんど普及しませんでした。神道式が急速に普及するのは、戦後になってからです。理由は、キリスト教風の式が普及したのと同じでしょう。今では神道式は日本古来の伝統みたいに思われてますけどね。

神の前で誓うという点では、翔太君の言うように神道式でもいいんでしょうけど、おそらくキリスト教スタイルのほうが、「誓いを立てた」という実感があったんでしょうね。ほら、神道式だと、メインは祝詞と三三九度でしょう。三三九度はまだ誓いのイメージがあるけど、祝詞を読むのは神主で結婚する本人たちが誓うかたちにはなっていない。一方のキリスト教風は、本人たちに「はい、誓います」と言わせますから、しっくりきますよね。

大将:なるほど、しっくり感ですか。

島田:それで人気が高いので、結婚式場としてはそのニーズを取り込みたくて、今あるかたちになったんじゃないでしょうか。式の主眼は誓いの言葉を口にすることなので、教会や牧師について、まあ、かたちだけでいいか、という発想です。

だから、キリスト教風の結婚式が今日あるのは、私の分析では現行憲法のせいです。こんなことは誰も言ってませんがね。女子の皆さんはそのあたりも考慮のうえ、怒りの矛先をどこに向けるかを考えてください。

島田 裕巳 宗教学者、作家

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しまだ ひろみ / Hiromi Shimada

1953年東京都生まれ。東京女子大学と東京通信大学の非常勤講師。1976年東京大学文学部宗教学科卒業。1984年同大学大学院人文科学研究科博士課程修了。日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員などを歴任。著書に『創価学会』(新潮新書)、『戦後日本の宗教史』(筑摩選書)などがある。

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