マリーヌ・ルペンが支持を伸ばした真の理由 父ジャンマリーを追放した効果は大きかった

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場内を見回すと、幅広い年齢層の男女が座っていたが、有色人種やイスラム教徒の国民の姿は筆者には見つからなかった。

「フランスを取り戻す」。このメッセージは昨年11月の米大統領選でドナルド・トランプ共和党候補(当時)が繰り返した「米国を第一にする」(アメリカ・ファースト)や、昨年6月、英国がEUに残留するか離脱するかを問う国民投票に向けて、離脱派政治家が唱えた「英国を自分たちの手に取り戻そう」という表現を彷彿とさせる。ナショナリズム的な感情が米国や欧州を席巻しつつある。

国民戦線はフランスの有権者に何を提供しようとしているのだろうか。改めて整理してみよう。

娘マリーヌの挑戦の軌跡

国民戦線はマリーヌの父親であるジャンマリー氏が中心となって、1972年に創設された政党。そもそもがフランスの旧植民地国アルジェリアの独立運動に反対する運動だった。その後、失業率が高まり国内に不安が高まるたびに支持者を増やしてゆく。内部分裂の危機を乗り越え、2002年にはジャンマリー氏が大統領選挙の第2回目の決選投票に進出した。これはフランス内外を震撼させた。

国旗の3色のマニキュアの指を広げる女性(筆者撮影)

国民戦線の政策は移民排斥、EUからの脱退、国籍取得制限の強化など排他的で、現在のフランスの土台となっている「自由・平等・博愛」の精神に反する主張を持つ。後述するが、ジャンマリー氏はホロコーストの影響を軽んじるような発言を繰り返してきた人物だ。第2次世界大戦で多くの犠牲者を出した欧州では、独ナチスによるホロコーストの否定はご法度であり、その影響を軽んじるような人物は大きな批判を招く。

48歳になるマリーヌ・ルペン候補はジャンマリー氏の3女。パリ第2大学を卒業後弁護士として社会に出たが、1986年に国民戦線に参加して結局は政治の世界に入った。2004年から欧州議会議員となり、2011年、党首に就任している。

反移民、反EUというスタンスを維持しながらも、仕事を持ち、3人の子供を育てる「普通の女性」というイメージを確立していったマリーヌ候補。支配層を批判する「アンチ・エスタブリッシュメント」、大手政党の外にいる「アウトサイダー」という位置が今は有権者の支持を得る鍵となった。

しかし、さらに支持層を広く拡大させたいならば、反ユダヤの人種差別的政党という、父が生み出した国民戦線のイメージをどこかで払拭する必要があった。

マリーヌ候補が実父を国民戦線から追放したのは2015年。残酷なようだが、そうせざるを得ない事情があった。

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