日本郵政の「大型M&A」、失敗は必然だった 「手段が目的化」するリスクは結婚と同じだ
株式上場のタイミングで買収案件を実行しなければいけないことから、制約された時間内でM&Aを行うことが至上命題となる。案件に過度にしがみつけば、入札で買収価格が上がってもそれを上回る金額で落札することに執着し、対抗馬に価格を吊り上げられながら、最終的には割高な買収金額になってしまうのだ。
また、ついこの前まで国営企業であった日本郵政は、そもそもM&Aに慣れている組織ではない。M&A専門の部隊を社内に招聘し、準備していたと思うが、全体の意思決定に際し、冷静に案件を判断することができる人材がいなければ、その道のプロであるM&Aのアドバイザーにうまく買わされてしまう。
アドバイザーは、買収価格の何%という形の成果報酬で自身の受け取り報酬が決定されることから、買収金額が高くなるほど報酬は高く取れ、成果報酬の形を取っていることから、投資案件を全力で実行に移していくことに意識が集中する。その利害衝突をなくすために雇用した社内のM&A専門部隊も、自分たちの組織内での評価は、M&Aの案件数であることから、案件を実行させることに存在意義を見いだしてしまうのである。
つまりは、不慣れな日本郵政にとっては、社内外に味方のように見える「敵」が存在している状態にあったのだろう。このような状況下で、買収監査を行っても、案件を進めるうえで都合の悪い数字は見えないようにし、都合の良い数字のみを買収の検討材料にするといった、案件の実行ありきでの M&Aが進んで高値づかみをさせられることは、 M&Aに慣れていない大組織ではよくあることである。
M&Aが目的化された「M&Aゴール」
また、「上場ゴール」という言葉があるが、今回はM&Aが目的化された「M&Aゴール」だったのだろう。買収は実行することよりも、その後の経営統合のほうが、数倍重要であり困難である。企業は、法人という名前のとおり、人格があり、その法人に属しているのも人であることから、それぞれの法人に独特の文化や慣習が存在している。読者の皆さんも、たとえば、営業部と管理部では、特徴の違う人たちが集い、その組織の文化が違ってわかり合えないシーンがあったりすることは、ご理解いただけると思う。それ以上に、法人同士が統合するというのは、並大抵の相互理解では埋まらない壁が存在する。
日本郵政の場合、ついこの前まで官僚組織としてトップダウンでマネジメントされていた秩序正しき組織文化であるのにもかかわらず、海外の中でもフランクな組織文化を持ちやすいオーストラリアの企業と文化慣習を理解し合えるには、相当な努力が必要なことは想像に難くない。
また、買収された側の組織文化を尊重するためには、まずは放任主義で運営を行ってもらうことがM&A成功へのカギとなり、統合のセオリーであるが、官僚組織が放任主義を許容するには大きな壁があっただろう。加えて、完全ドメスティック企業の同社が、海外特有の文化、たとえば、初対面の相手に名刺を机の上に投げて渡したり、会議中に机の上に足を放り出して話を聞いたりするのも普通といった感覚を簡単に理解できるとは思えない。
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