これは、「子どもの幸せを願う親なら、自分の価値観にしがみついて、子どもを縛ってはいけない。子どもが信じる道を、親はその価値観等が理解できずとも子どもを信じ、応援し、見守るべきだ」という意味です。子どもの幸福のためなら親は子に、負けることもやぶさかになってはいけない、という意味もこもっています。
私はこの言葉を、ため息まじりにつぶやく何人もの大人たちを見ながら育ちました。たとえば長男は、結婚しても親と同居するのが当たり前とされた時代に育てた長男が、結婚したとします。
その長男夫婦が親と別居したいと主張することは、親にとっては長男夫婦の裏切りであり、近所・親戚への恥でした。ほかにも、子どもの学校や就職企業の選択、結婚相手を決めるときなど、時代の流れや価値の多様化で、親の願いと子どもの選択が大きく異なる場合が、多々発生するようになりました。
その地点で子どもの選択がいくら親から見て危うく、自分たちの価値観とは相いれないものでも、話し合いで子どもが真剣なら、親が折れるべきなのです。子どもの幸福を願うなら、子どもが納得できる道を子どもが責任を持って歩むのを見守り、応援するしかなく、この種のことで親は子に勝ってはいけない、と言っているのです。
子どもの幸福を邪魔する親には従うな
優柔不断様、あなたの再婚に、母上の承認など不要です。
失礼ながらあなたの母上は、あなたの再婚にもトラブルメーカーになることは、間違いありません。母上と話し合う際の切り口をお尋ねですが、どんなに人生経験豊富で知性抜群の知恵を借りてきても、あなたの母上があなたの再婚を渋々でも認める切り口上など、ありません。
あなたは、直情型で理不尽なことを押し付ける母上とはいえ、母上なりの愛も理解しておられるからこそ、縁は切りたくないとか、認めてもらいたい願望をお持ちなのですね。それは私も理解できます。
そのうえで、あなたの「あれも欲しい、これも捨てたくない」という優柔不断さが、間違いなく再婚相手をも不幸にするものだと警告させていただいても、その願望も持ち続けますか? いまだに前夫人が「ああ言った、こう言った」とあげつらって、あなたに介入してくる母上が相手ですよ。
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