24歳で会社を辞め舞台監督に転じた男の半生 小栗哲家「新しい挑戦は失敗しても勉強だ」
総合芸術であるオペラの公演には、多くの人が関わる。そのため、スタッフをまとめる舞台監督の責任は重大だ。小栗哲家氏は27歳の若さで舞台監督に指名されると、その後、国内はもちろん世界的なオペラなど、さまざまなビッグプロジェクトに携わってきた。
また、小澤征爾氏や若杉弘氏、佐渡裕氏など、日本を代表する指揮者がタクトを振るオペラにおいても、小栗氏は陰で公演を支えてきた。その功績が認められ、先日、第27回新日鉄住金音楽賞「特別賞」を受賞。選考委員からは「小栗さんがいれば、そのとき必要なすべての要素に安心という文字が刻印される」と絶賛された。
しかし、ここにたどり着くまでの道のりは、決して平坦ではなかった。
1970年。大学生だった小栗氏は、学生運動の真っ只中にいた。当時はオペラやクラシックとはまったく無縁。大学卒業後は、アパレルのショップ店員として就職も内定していたが、学生運動の影響で取り消しになった。
そこで知り合いに紹介された照明会社に就職。その後、舞台監督助手へと転身すると、わずか3年でオペラの舞台監督に指名される。以来、60歳までがむしゃらに走り続け、現在はオペラやクラシックコンサートのプロデュースを中心に活躍している。そんな小栗氏に、これまでの歩みを訊いた。
家を借りるお金もなかった駆け出し時代
──名古屋の照明会社に就職後、なぜ舞台監督に転身したのですか?
私のなかでは、就職したからといって学生時代に掲げた理想は変わっていませんでした。ですから照明会社に就職するも、会社の方針に疑問を感じてしまい、2年ほどで退社してしまったんです。
そんなときに、知り合いから「名古屋の市民会館で『セビリアの理髪師』ってオペラをやるんだけど、手伝ってくれないか?」と声を掛けられたんです。それが、オペラとの出会いでした。
そのときは舞台監督助手というよりも、雑用に近い仕事内容でしたが、公演を終えると、「オペラをやる気があるなら東京に来ないか?」と誘われたんです。