24歳で会社を辞め舞台監督に転じた男の半生 小栗哲家「新しい挑戦は失敗しても勉強だ」
ただ、実際に本場の歌や演奏を目の当たりにすると、大きなショックを受けました。なぜなら、「これが“本当のオペラ”なのか」と思えるほど、日本で公演しているものとは、あまりにもレベルが違い過ぎたからです。私は驚きのあまり、口を閉じるのも忘れ、歌と演奏に見入っていました。そのときの衝撃、そして感動を、いまもはっきりと覚えています。
翌年にはウィーン国立歌劇場の引っ越し公演を経験しました。文字通り準備の間は、“寝る暇もない”ほどの忙しさでしたが、このときも「こんなすごい世界があるのか」と、驚きと興奮に私は包まれていました。
──海外の方と関わる上で大切にしていたことはありますか?
国によって仕事のやり方も違いますし、言語も文化も違うわけですが、誰とでもコミュニケーションは取れると私は思っています。
公演が終わったあとに、一緒に飲みに行って、みんなで楽しい時間を共有する。次に会えるのはいつかわからないけど、飲んで騒いで。そうすれば、相手がどこの国の誰だろうと、不思議と仲良くなることができました。それが私のいちばんの特技なのかもしれません。私は几帳面でもありませんし、むしろ、いい加減な方だと思うんですが、なぜか人とは仲良くなれるんです。
あとは「できません」と言わないこと。それは意識していました。新しいことにチャレンジすれば、失敗してもそれは勉強になります。日本で実現することが難しいような要望でも、まずは「わかりました」と言って、挑戦していました。
──以来、多数のオペラ公演やクラッシック関係のビッグプロジェクトに関わってきました。小栗さんの思う、オペラの魅力とは何ですか?
やっぱり面白いんですよ。同じ作品でも、演出家や指揮者、歌い手によって、まるで違う作品になります。さらに総合芸術ですから、何かひとつ要素が欠けるだけでバランスを崩してしまう繊細さがそこにはあります。
その奥深さに、知れば知るほど魅了され、夢中になりました。当時は歌謡ショーの舞台監督なんかもしていましたが、オペラと比べると、どうしても楽しめない部分がありました。
「音の雲」を作った
──1988年には、「トミタ・サウンドクラウド・イン・長良川」というコンサートに関わっています。この公演では、川の上にステージを作ったそうですね。
はい。会場8箇所にスピーカーを置いて、さらに上空のヘリコプターからも音を出し、客席に音を集めることで、タイトルにある「音の雲(サウンド・クラウド)」を作ったわけです。
そのコンサートでは、中州にステージを作ったのですが、これは冷や冷やでした。長良川の中に組んだステージは、雨が降り、水位が1メートル上がると沈んでしまう、という状況にありました。当時、多くの関係者から「ここをステージにするのは中止してくれ」と言われましたが、ステージを組んでしまったあとでしたから、「いまさら変更できるか!」と思い、私は誰が来ても知らん顔し続けました。