24歳で会社を辞め舞台監督に転じた男の半生 小栗哲家「新しい挑戦は失敗しても勉強だ」

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ですが、本番の3日前。雨が降り、どんどん川の水位が上がっていったんです。そのときは生きた心地がしませんでした。しかし当日は何とか晴れてくれたので、無事に公演を終えることができました。

山からサーチライトを打ったり、花火と音楽を合わせたり、そうした試みはおそらくこの公演が初だったのではないでしょうか。いい意味でも、悪い意味でも、記憶に残っている仕事ですね。

昔はビッグプロジェクトに関わると、多くの驚きがありましたが、最近だと驚くことはほぼありません。技術革新もやや頭打ちな感もありますし、以前のような興奮する仕事に出会うことも減りました。それもあって60歳を機に、現場からは少しずつ離れ、現在はプロデュース中心の仕事をしているんです。

──今回、新日鉄住金音楽賞「特別賞」を受賞しました。選考委員の作曲家・池辺晋一郎氏は「小栗さんがいれば、そのとき必要なすべての要素に安心という文字が刻印される」と語っています。小栗さんが、“安心”を与えるためにしていたことはありますか?

極端なことを言えば、私は誰が舞台監督をやっても、そう大きくは変わらないと思っているんです。ではなぜ私のところに仕事が来たのかと考えると、それは私が、音楽を大切にしていたからだと思います。

「オペラでいちばん重要なものは何ですか?」と誰に聞かれても、常に私は「音楽です」と答えてきました。そこに指揮者や作曲家の方たちは、「自分の音楽を大切にしてくれる人だ」と感じてくれたのかもしれません。

ただ、これまで日本を代表するような方々、小澤征爾さんや若杉弘さん、佐渡裕さんとも多くの仕事を一緒にしてきましたが、「やらせてください」とこちらからお願いしたことはありません。だから振り返っても、「なぜ私に仕事が来たのか」という理由については、真の意味ではわかりません。いつも私自身は自然体でしたし、嫌いな人間は嫌いなままでいい、とさえ思っていましたから。

常に挑戦することが成長につながる

──60歳を機に、舞台監督の道は後進にゆずっています。いま若い人に伝えたいことはありますか?

「チャレンジしろ。失敗をおそれるな」ですね。挑戦すれば、必ずいいことがあるとは限りません。それでもチャレンジする価値は必ずあります。

ただ、「チャレンジしろ」と言われてやっているようでは駄目でしょう。自分で見つけて飛び込んでいかないと。いま安定しているからといってチャレンジしなければ、進歩はありません。だから常に挑戦すること。それが成長につながると思います。

──プロデュース業が中心の現在。以前よりも時間は取れるようになったと思います。これから時間をどんな風に使っていきたいですか?

ママ(妻)を大切にしてあげたいですね。若い頃、私は家にほとんどいませんでした。当時は働くことが楽しくて、仕事ばかりしていました。あの頃、「カミさんのことを考えていたか?」と聞かれれば、たぶん思っていなかった。

だからこれからは、彼女のために時間を使っていきたいんです。国内でも、一緒に行ったことのない場所が、まだまだ沢山ありますから。

(文:赤坂匡介、写真:高橋敬大)

小栗哲家(おぐり・てつや)
オペラ、クラシック・プロデューサー
1949年生まれ。大学卒業後、照明会社に就職。その後オペラと出会い、舞台監督助手に転身。1976年、関西二期会「アルバート・ヘリング」にて初めて舞台監督を務めると、以降は国内オペラだけでなく、海外劇場の引越し公演など多数の公演を手掛ける。また、セイジ・オザワ 松本フェスティバル(旧、サイトウ・キネン・フェスティバル 松本)では、劇場探しの段階からプロジェクトに参画。現在は、兵庫県立芸術文化センターの、オペラやクラシックコンサートのプロデュースを中心に活躍中。
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