日本が貢献した「イスラム紛争終結」の舞台裏 ミンダナオ和平プロセスは成田から始まった

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それはフィリピンの複雑な歴史が関係している。フィリピンは16~19世紀にスペインに植民地支配され、総人口約1億人の93%はカトリックを中心としたキリスト教徒。他方、バンサモロには14世紀頃、マレー半島経由でイスラム教が伝わり、15~16世紀にイスラム王国が栄えた歴史がある。

首都マニラのマラカニアン宮殿(大統領官邸)で2014年3月27日に行われたミンダナオ包括和平合意の調印式典。右から3人目がアキノ大統領(当時)、左端がムラドMILF議長

今も約350万人のイスラム教徒が居住するこの地域に、20世紀以降、特に第二次大戦後に他の地域のキリスト教徒が豊かな農地や天然資源を求めて入植し、イスラム教徒の先祖伝来の土地を奪うなど迫害したため、両者の確執が深まった。

急進派イスラム青年グループを中核とするモロ民族解放戦線(MNLF)が1970年、分離独立を掲げて武装闘争に突入し、1980年代に分派したモロ・イスラム解放戦線(MILF)が闘争を継続。マルコス独裁政権は過酷な弾圧を加える一方で政治交渉を行い、その後の歴代政権も和平協議を試みたが結実しなかった。

ようやく和平合意に達したのは、ベニグノ・アキノ前政権時代の2014年3月のこと。現在はイスラム教徒主体のバンサモロ自治政府の設立を目指す和平プロセスが難航しつつも進んでいるところだ。

日本がフィリピン政府と武装勢力を仲介

この紛争終結への転換点となった出来事をお膳立てしたのが、日本外交だった。日本は停戦前の2003年から外務省/国際協力機構(JICA)を通じて農業振興や学校建設、行政能力強化などの支援を実施。アロヨ政権時代に戦闘が再燃し、他の支援国が手を引いた時も日本は現地に踏みとどまり、フィリピン政府とMILF双方から信頼を得る存在になっていた。

2010年6月に就任したアキノ大統領は、和平協議の停滞を打開するために日本に助力を求めた。政府高官がマニラの日本大使館を密かに訪ね、「極秘でお願いする。MILFとのトップ会談をホストしてほしい」と打診してきたのだ。マニラと東京でそれぞれ動いた外交官たちは「情報が漏れたらおしまいなので、外務省でも大使館でも数人にしか知らされなかった」と証言する。

会談場所には成田国際空港近くのホテルが選ばれた。反政府武装勢力のMILF代表団をこっそり入国させるために、首相官邸、法務省入国管理局、財務省関税局、警察庁との連携も徹底された。

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