日本に「超一流アパレルブランド」がない理由 コスト削減の果てに「日本製の服」は僅か3%

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「ファクトリエ」を立ち上げてから今に至るまで、月の約半分を工場訪問に費やす日々が続いています。この5年で足を運んだ工場は600以上。電車やバスを乗り継いで地方に出向き、タウンページを見ながらアポイントを取るというスタイルで多くの工場を訪れました。夏は照りつける暑さで汗だくになり、冬は肌を突き刺す風にかじかみながらも、「日本のものづくりから世界一流ブランドを作る」という夢を追って、前へ前へと足を進めています。

アパレルの国産比率は、3%まで落ち込んでいる

その中で直面しているのが、日本の工場が危機に瀕しているという現実。タウンページを見ながら電話をかけていたときも、「この電話番号は現在使われておりません」というアナウンスを何度となく耳にしました。

私が直面した状況は、数値にも如実に表れています。日本のアパレルがピークを迎えたのは、1990年のこと。当時、アパレルの国産比率は50.5%で、約100万人が工場で勤務していました。しかし、ここから数値は急激に下落し、2005年には工場に勤務する人たちが約40万人に減少。2014年のアパレルの国産比率は3%にまで落ち込んでいます。

(写真:WorldWideStock / PIXTA)

なぜここまで急激に工場が減少したのか。その理由の1つとして挙げられるのが、ファストファッションの台頭です。消費者の低価格志向により、高品質・高価格の商品が以前よりも売れなくなりました。ピークの1991年には売り上げ9兆7130億円を誇っていた百貨店全体の売り上げが、2016年に5兆9780億円にまで下がっているのは、まさしくこれが原因です(日本百貨店協会調べ)。

加えて、流通構造の破綻も大きなダメージとなりました。工場と消費者の間には、振り屋(工場に生産を依頼する役割)・商社・卸・小売りといった中間業者が介在しており、下請けの工場が利益を得にくい構造になっています。高価格の商品が売れていた頃はある程度の利益を確保できましたが、低価格化のしわ寄せを受けて、利益はみるみる減っていきました。

80年前の旧式力織機で作られる布の風合いは、なんとも言えないよさがある(写真:ファクトリエ提供)

1990年以降に起こった一連の現象は、「日本で作る意義」のはき違いから生まれたと思っています。デフレの進行に合わせてコストを削減するのではなく、日本の工場だからこそ生み出せる価値を創出すべきでした。

たとえば、80年前の旧式力織機で作られる風合いには、大量生産型の織機では絶対に出せない豊かな味があります。こういった技術を惜しみなく投下することこそが日本で作る意義であり、コスト削減によって技術力を薄めてしまうのは、本質から大きく懸け離れています。

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