書店店長の「平凡な香港人」が語る自由の重み 禁書販売で中国に拘束、自殺も考えた顛末
2015年10月から中国政府は、政治的な発禁書を販売することで知られていた、銅鑼湾書店の処分に着手した。しかも秘密裏に。そしてオーナーと株主を含む5人が相次いで拘束。林氏もその中の一人で、拘束期間は8カ月に及んだ。
林氏は2016年6月に香港に戻ると、監視の目をかいくぐって記者会見を開いた。そこで語った失踪の経緯は世界を驚かせた。このため「香港の良心」と呼ばれるようになる。専制政権にとって眼中の釘であり、メディアからは英雄と称えられた。流亡者たちからも、英雄視されている。
だが、林氏はこう語る。「自分は平凡な香港人にすぎません」。実際に2015年以前、人生に大きな起伏はなかった。父母は日本が敗戦を迎えた後の国共内戦の混乱の中を、中国の農村から香港の九龍に逃げてきた人たちだ。生活が困窮を極めるなか、4人の兄姉は仕事に明け暮れた。末っ子の林氏は誰にもかまってもらえず、学校もいやになり、学業は夜間高校を卒業しただけで終わった。
しかし、子どものころから、読書は好きだった。特に文化・歴史・哲学の本を好み、時間があると図書館に行った。小学校を卒業すると、レストランや工事現場、運送会社、理髪店などで働いたが、どれも長続きはしなかった。仕事には興味がなく、ただ生活のために働いていた。それでも本から離れることはなく、仕事仲間たちが競馬場や喫茶店に行くのを横目に、時間を見つけては文章を書いた。
禁書の販売方法を熟知していた
1980年代後半、林氏が中国資本の中華書局で営業として就職したことは、まさに水を得た魚となった。長く読書と創作を続けていたことから、すぐにトップセールスの地位を獲得する。しかし1989年の天安門事件前後、経営者や同僚たちが中国当局に媚びへつらうのを見て、会社を辞めてしまう。そして1994年に銅鑼湾書店を開設、文化・歴史・哲学の本の販売を始めた。その中には中国では禁書とされている書籍が含まれていた。
「杭州(浙江省)に本を送ろうとします。普通郵便だと上海で検査されます。速達だと温州(浙江省)での検査になります。温州の検査はとても緩いので速達で送るわけです」。このように禁書の取り扱い方を知り尽くしている。「私たちが本を送るのはカネ儲けのためではありません。よい本を伝えることが大切なのです。一冊の本は人を変えますからね」
本と深く関わってきた人生の中で、販売や出版をはじめ、あらゆることを経験した。何年も銅鑼湾書店に泊まり込み、毎日十数時間も店番を務めた。仕事が深夜に至っても、執筆と読書には必ず1時間取り、就寝は午前3時という生活を続けた。カネ儲けは追求せず、書店と生活を維持できれば、それでよかった。
今回、台湾で林氏を案内する中国の孟氏によれば、林氏の書店に行くといつも一人でそこにいて憂鬱そうな様子をしていたが、本のことを話し始めると人が変わったという。
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