書店店長の「平凡な香港人」が語る自由の重み 禁書販売で中国に拘束、自殺も考えた顛末

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林氏の台湾訪問は高い関心を集めた。台北国際ブックフェアなどのイベントを参観する際や書店を訪問する際にも、いつも8人以上の警備担当者が随行。香港の社会運動家である黄之鋒が台湾を訪れた際、暴力団関係者に取り囲まれる事件が発生したばかりだった。このため行政院大陸委員会(台湾政府で中国に関する業務を行う部署)と警察は、林氏の訪問に神経をとがらせていたのだ。噂を聞きつけたマスコミも大勢押し掛けてきた。

「多くの人が私のことを英雄だと言いますが、私は英雄などではありません」と、林氏は言う。しかし中国政府は、林氏を豪傑に仕立て上げた。災難と英雄の称号が62歳の男の身に同時に与えられたのだ。

牢獄の災難は突然やって来た。2015年、林氏が香港から広東省深圳に入ろうとしたとき、30人以上の大男たちから目隠しをされて手錠をかけられた。そして車に乗せられ、浙江省寧波の監獄に収監された。ここで数カ月にわたる尋問が続いた。

3カ月間何の説明もされず、監獄の生活は落ち着かないものとなった。「もしも自分の罪名がわかっていれば、それが5年の刑期に相当するものとわかっていれば、心の準備もできたはず。しかし、彼(中国共産党中央の担当者)は、私に何も言いません。ただ『おまえを一生、閉じ込めておくこともできるのだ』とだけ言いました。しかも何回も」と語る。

こんなことがわが身に起きたことが林氏には信じられなかった。夜、人々が寝静まると、窓の外に目を向け、夜空の雲と月を眺めた。現実のこととは思えなかった。自分が夢の中にいるような錯覚を感じたが、これは夢ではない。悪夢だった。

罪を認める書類にサインさせられ

自殺も考えた。毎日繰り返される獄中の生活は、徐々に恐怖感を高めるものになった。「私が恐れたのは一生この中で過ごすのかということでした。いっそのこと自分で命を絶ってしまったほうが簡単だと考えました」。が、四面の壁はすべてやわらかいマットで覆われ、壁に頭をぶつけることはできない。天井も高くて、ズボンをロープ代わりにして、首を吊ることすらできない。自殺することさえ、この上なく難しい。

ついに林氏は屈服した。中国共産党当局に対して頭を下げ、家族への通知を放棄し、弁護士を呼ぶことさえも放棄する内容の書面にサインした。また、罪を認める書類にサインし、罪を懺悔するビデオを撮られることにも同意した。「違法な書籍販売を経営した」ことを認めたのである。

共産党は、林氏が香港に戻り、本を購入した顧客リストが記憶されているハードディスクを取り出して、再び中国に持ち帰ることを保釈の交換条件とした。禁書の購入者を捜査する証拠とするためだ。不本意ながらも林氏はやはりその要求に応じた。過去の平凡で安全な生活が目の前にあった。ただすべてを早く終わらせたかった。

ところが、香港に戻ると、自由な空気が心の底にあった信念を揺さぶった。香港ではインターネットで、6000人の香港人が銅鑼湾書店事件に抗議し、街頭でデモをするニュース画面を夜が明けるまで見続けた。彼は躊躇した。「私が中国本土に戻れば、私の客を売り渡すことになります。そうなったら、これまで本を読んできたのは何のためだったのでしょう。人々が私のために声を上げてくれているのは正義のためです。私がそれに応じなければ、彼らに申し訳が立ちません」

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