ミクシィ再生の手綱握る、異色経歴の新社長 新世代リーダー 朝倉祐介 ミクシィ社長

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「単純に競馬騎手がかっこいいというあこがれがあった」と本人は言う。「騎手は自分の腕で食っていくことができる職人的生き方ができる。日本だけにとどまらず、海外でも活躍できる」という魅力があった。

ただ、騎手の道を選んだ理由はそれだけではない。「中学校に進学し、高校受験を控えたとき将来のことに思いを巡らした際、単純にいい学校へ行って、いい大学、会社に入るということがいいのか。自分の尺度ではなく、人の尺度で決めている人生ではないか」と疑問を抱いたことが、この職業を志す決め手となった。

思いついたら即、行動である。資料を取り寄せ、オーストラリアの競馬養成学校に願書をファックスで提出した。両親は当然、反対したが、「若いほうがすぐに方針転換できる」と説き伏せ、中学卒業後、単身でオーストラリアに渡った。

結果的に、朝倉氏はオーストラリアからは1年間で戻ってきている。あまりに身長が伸びすぎたからだ。

競馬騎手が維持しなければいけない体重は45キログラム前後。平均的な身長は160センチメートルが相場という中で、朝倉氏の身長は175センチメートルまで伸びた。「体重を抑えるために、1日1000キロカロリー以下しか摂取しなかった。体脂肪は3%まで下がったが、それでも伸びる身体を止められなかった」という。

さらなる挫折が転機に

それでも、競馬に関連する職業へ就く夢はあきらめめなかった。調教助手の募集が北海道浦河町にあることを見つけ、オーストラリアから北海道に渡り、名馬メジロマックイーンの子どもなどを担当した。当時16歳、「騎手の道をあきらめたとはいえ、馬のない生活は考えられなかった」。

しかし、ここで不慮の事故に会う。バイクに乗車していた際、浦河町の近く、様似町の道路でカーブの先に止まっていた車と衝突し、左足の大腿骨と下腿骨を両方粉砕骨折したのだ。複雑骨折よりも重傷なケガだった。後遺症は今でも残っている。

「一度、大学に行ったほうがいいかもしれない」。浦河町で調教助手をし始めた頃、漠然と抱いていた思いが、この事故によって鮮明になる。朝倉氏は1年半ぶりに実家の兵庫県西宮市に戻る。

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