「勘違いジャーナリスト」たちにモノ申す 田端信太郎氏と考えるウェブメディアの未来(中)

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ジャーナリストは奇麗事をいって、居直っている

――メディア界には100年に一度といえる大変化が起きているのに、ジャーナリストの側には危機感がありません。

今は、業界にいる人たちが「俺は、まだ住宅ローンを払い終わっていないのに、このままで逃げ切れるんだろうか」という感じで困っていますけど、読者目線で見れば、誰もそんなこと心配していませんし、本当にどうでもいいことなんですよ。「最近、朝日新聞の記事がスカスカになってしまったな」というぐらいにならないと、読者は最後の最後まで困らないかもしれない。

僕が、メディア業界人の端くれとして本当に嫌なのは、業界のインサイダーがジャーナリズムの危機を叫ぶこと。あれは、脅しというか、居直りに聞こえるんですよね。「このままではジャーナリズムがなくなってしまう」「権力の監視ができなくなってしまう」というセリフを聞くと、「だから、今までのマスコミの待遇を維持しろってことなんですか」と言い返したくなる。自分自身が既得権、抵抗勢力そのものなのに、綺麗事をいって居直っている。それならば、「住宅ローン返すまで居直ってやれ」と腹黒く思っているほうがまだいいんですよ。

ジャーナリストの人たちは、自分の既得権を守ろうという発想ではなく、本当に心の底からよかれと思って「権力の監視ができなくなる」といっているようなところがあって、それはかえってたちが悪い面もある。

そもそも、「権力を監視するのがジャーナリストのノブレスオブリージュだ」みたいな話はよく出てきますけど、今時、ご本人が思うほどには、読者や社会の側からは、そんな役割は期待されていないんですよ。それなのに、何か勘違いして、「世のため人のために、自分たちは他の人には到底できない貴重な責任を果たしているんだから、社会の中で特権を与えられて当然だ」みたいな発想自体が滑稽です。

昔は、テレビの伝送路や新聞の宅配網は希少なネットワーク資源だったので、そこにアクセスできる人は、清廉潔白かつ高潔で優秀であることが求められたし、ノブレスオブリージュがともなったと思うんですが、今は状況が変わっている。

――ネットを使えば、誰でも発信できる世の中ですからね。

そう。突き放してみると、「何であなただけが、特権意識で思い上がっているの」と見えてしまう。でも本人はそれに気づいてなくて、悪気なくやっているところが問題。時代遅れの滑稽なドンキホーテみたいな、独り相撲になってしまっている。

世の中の大多数の人は、そういう話に興味を失っていて、そうした中で、紙メディアの影響力だけがじわじわと下がっている。大手マスコミに対しては、「年収1000万円以上もらって、既得権にあぐらをかいている」という批判がよくあるんですけど、それとはまた違う話なんですよね。

※ 続きは7月26日(金)に掲載します

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