(第11回)阿久悠の履歴書2--亡き兄と美空ひばりの登場
●他者に追随せず、時代に同調しない
そう、彼は決して舞い上がらない男なのだ。
他者に追随せず、時代に先行はしても、決して同調はしなかった。
ただそれは、シニカルに他者を退け、時代に背を向けることとは根本的に別である。
阿久悠は美空ひばりを、なかにし礼を、人一倍リスペクトする。
それ故にまたプロとして、同業の作詞家として、その色に染まり、オリジナリティを失うことを極度に恐れたのだ。
それが、創造力の自己保存のための彼のクールな選択だった。
都はるみや石川さゆり、尾崎紀世彦や沢田研二が熱唱する歌詞にも、阿久悠の資質を反映したクールな眼差しが随所で光る。
別れを決意したカップル、意を決して旅に出る女性、やせ我慢で女が出てゆくのを見送る男--そのことごとくが、情念のドロドロを浄化し、洗練されたクールな眼差しで、自身の来し方、行く末を直視しまた選択しているのだ。
激情を押さえ込む抑止力を、阿久悠はおそらく少年期に経験した戦争と病気による本能的欲望の自己放棄、あるいは断念によって自ら体得したのである。
非現実を探し、架空の世界に遊ぶこと。理想の世界を現実の外に具体的に想定してみること。
虚無的ではあっても、彼は「熱く生きる道」を放棄したわけではなかったのだ。
「胸を破らずに激情と共棲する方法は見つかる」(同)
これが戦争を潜り、肺病を克服した阿久悠がたどりついた究極の叡知(えいち)であった。
彼は激情に駆(か)られた空疎な希望も、また虚妄に近い空疎な絶望も決して歌にしない、実にクールな作詞家だったのだ。
1952年生まれ。早稲田大学第一文学部卒。文芸評論家
著書に『吉本隆明1945-2007』(インスクリプト)、『評伝中上健次』 (集英社)、『江藤淳-神話からの覚醒』(筑摩書房)、『戦後日本の 論点-山本七平の見た日本』(ちくま新書)など。『現代小説の方法』 (作品社)ほか中上健次に関する編著多数。 幻の処女作は『ビートたけしの過激発想の構造』(絶版)。
門弟3人、カラオケ持ち歌300曲が自慢のアンチ・ヒップホップ派の歌謡曲ファン。
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