ノーベル文学賞「ボブ・ディラン」に捧げる

ロバート・ハリス「どうってことなかったぜ」

それでもボブ・ディランはコツコツとヒットソングを生み続け、彼の詩的な歌詞はその都度、ぼくの想像力を掻き立てた。「時代は変る」然り、「ミスター・タンブリン・マン」然り、「ライク・ア・ローリング・ストーン」然りである。

どんどんボブ・ディランに傾倒していったあの頃

高校2年のはじめ、ガールフレンドを追いかけて調布のアメリカン・スクールに転校したころから(残念ながら、彼女には転校したその日に振られてしまった)、ぼくはどんどんボブ・ディランに傾倒していった。ブリティッシュ・インヴェイジョンも収まり、アメリカでサイケデリック・ロックと反戦フォークが流行りだしていたころだ。そんな中、ディランの詩的な歌詞はもちろんのこと、誰にも迎合することなく、己の孤高の道を突き進んでいく彼の姿がぼくの心を捉えていったのだ。彼の「ライク・ア・ローリング・ストーン」にすっかり打ちのめされたぼくは、いつしか自分でも詩のようなものを書くようになった。すべて、ディランの『追憶のハイウェイ61』の中の「廃墟の街」や「やせっぽちのバラッド」を真似た、シュールな自由詩だったが、出来は自分なりに気に入っていた。

その内、格好もディランの真似をするようになった。髪を梳かすのをやめ、コーデュロイのジャケットの襟を立て、猫背で歩き、努めて眉間にしわを寄せる努力をした。

アレン・ギンズバーグを崇拝する詩人のガールフレンドもできた。ぼくたちは学校を早退しては原宿のカフェ・ド・ロペでチェーンスモークしながらエスプレッソを啜り、ディランやビート文学について何時間も語り合った。将来はディランのように吟遊詩人となり、詩や小説を書きながら世界を渡り歩くんだ、とぼくは彼女に豪語した。高校を卒業する頃にはその彼女と別れていたが、卒業アルバムにはぼくの詩が何編か掲載された。

アメリカのカリフォルニアの大学に入学し、寮に入った時、ラジオから流れるディランの『ナッシュヴィル・スカイライン』の「北国の少女」がぼくを迎えてくれた。ぼくはここでヒッピーになり、ベトナム反戦運動に加わり、詩を書き続け、世界を旅する夢に燃えた。

大学を卒業すると同時に、長い放浪の旅に出た。ミスター・タンブリン・マンの魔法の船に乗船したのだ。

あれから40年以上たった今、ぼくは日本に帰ってラジオのDJとなり、語り部となり、小説を書き、自作の詩もたまに書いて朗読している。ラジオでは以前「ポエトリー・カフェ」という番組をホストし、今もポエトリー・ギャングスタというストリート・ポエットのグループのメンバーでもある。

ディランを模倣することは何年も前にやめたが、彼の「法の外で生きるなら、正直でなきゃだめだ」という言葉は、今でもぼくの指針のひとつになっている。

彼がノーベル文学賞受賞に対してクールだということが話題になっているが、彼のこんな言葉を思い起こせば、みんなも納得いくはずである。

「おれは王様たちと食事をした。天使の羽をオファーされた。でも、どれも、どうってことはなかったぜ」

ロバート・ハリス
1948年、横浜市生まれ。DJ、作家。上智大学を卒業した後、1971年に東南アジアを放浪。オーストラリアには16年間滞在した経験をもつ。現在はJ-WAVEのナビゲーターやテレビ番組のナレーション、さらに作家としても活動している。著書には『アフォリズム』(サンクチュアリ・パブリッシング)などがある。

Text: Robert Harris
Illustration: Hattaro Shinano (Bob Dylan), Naoki Shoji (portraits)

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