SMAPと欽ちゃん、切っても切れない深い関係 「素人の時代」を切り拓き、発展させた

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未完成であるがゆえに困難にもぶつかり、時には失敗もするが、それを努力や結束の力によって乗り越える。そうして成長する姿にファンや視聴者も共感し、応援する。そのなかで培われる親近感こそが、完成された「スター」にはないアイドルという存在のドキュメンタリー的な魅力である。それは言い方を換えれば、冒頭に引いた中居正広の言葉にもあったように、アイドルとはすぐれた意味で素人的だということでもある。

そうしたSMAPのドキュメンタリー性が最高潮に達したのが、2014年に彼らが総合司会を務めたフジテレビの「27時間テレビ」だった。例年のように笑いをふんだんに盛り込む一方で、この年の「27時間テレビ」は、SMAPの歴史を振り返る意味合いが強かった。

いきなり冒頭から、「生前葬」と銘打って各メンバーが過去にあった苦難についての質問に答えることから始まった番組は、フェイクドキュメンタリーのかたちをとったスペシャルドラマや「27時間ナショー」(「ワイドナショー」のスペシャル版)で「解散」を扱うなど、かなり踏み込んだものだった。そしてデビュー曲から最新曲まで27曲を歌う最後の「SMAPノンストップLIVE!!!」に続く「グランドフィナーレ」では、ライブ会場からフジテレビまで歩いて向かう5人の映像に被せて、森且行から彼らに宛てた直筆の手紙が読まれた。

ひとつのアイドルグループの歴史が、このようなかたちで長時間にわたる番組の内容として成立すること自体、稀有なことであろう。それだけ私たちは、「スマスマ」を見ることでSMAPの歴史に立ち会ってきたのである。

成熟したエンターテイナー集団へ

こうして「スマスマ」は、テレビ的娯楽の王道を行くバラエティでありながら、他方でドキュメンタリー性を併せ持つ、それまでにないようなハイブリッドなバラエティ番組になった。

そして同時に、SMAPはこの「スマスマ」を拠点にして成熟したエンターテイナー集団へと成長していった。

SMAPのアイドルグループとしての特徴は、全員がひとりでも十分やっていける自立したタレントになったことである。メンバーは、各自の個性に従って、木村拓哉、稲垣吾郎、草彅剛であればドラマや映画、中居正広、香取慎吾であればバラエティというようにそれぞれの活動を繰り広げ、ソロとしても一本立ちした。

そうしてグループが成長していく過程とメンバー個人の活動の発展とが並行し、それが相乗効果を上げた。「スマスマ」の放送開始が木村拓哉の連続ドラマ初主演作で大ヒットとなった「ロングバケーション」(フジテレビ)の第1回と同日であり、しかも放送時間が連続していたことなどは、その端的な例である。

その意味でSMAPは、私たちが求めるコミュニティの姿でもあったように思える。1990年代初頭のバブル崩壊以降、企業だけでなく、家族、学校、地域などさまざまなコミュニティに綻びが目立ち始めた日本社会にあって、私たちは個人の自立が集団としての強さにもつながっているSMAPの姿に、個人と集団の両立の理想形を感じ取っていたのではあるまいか。

「NHK紅白歌合戦」においてSMAPが欠かすことのできない存在になっていったことは、そうした世間の側が求めたものと無関係ではないだろう。

1991年のデビューの年に早くも初出場を果たした彼らは、最初の頃はそれまでのアイドル歌手と同様、番組の前半で歌う脇役的ポジションでしかなかった。番組を締めるトリを始めとした重要な役目を任されるのは演歌歌手であるという暗黙のルールはまだ健在だった。

しかし、「スマスマ」が始まった1990年代後半以降、明らかに流れは変化する。1997年には中居正広が白組史上最年少の25歳で司会に抜擢される。その頃から、歌の合間に「スマスマ」で人気のキャラクターがたびたび登場するなど、SMAPなしでは番組が成立しないといっても過言ではないような状況になっていく。

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