SMAPと欽ちゃん、切っても切れない深い関係 「素人の時代」を切り拓き、発展させた

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結局、20年続くことになったこの番組、そのあいだに基本構成がほとんど変わらなかったことは、近年のバラエティ番組全般の傾向を考えるときわめて珍しい。

ゲストのリクエストに応えてSMAPのメンバー自らが料理の腕を振るう「BISTRO SMAP」、先述のオリジナルコント、そしてゲストミュージシャンとの歌のコラボ。この3本の柱は、番組開始当初からずっと変わらなかった。

それは、フリートーク、コント、歌とダンスという要素がバランスよく織り交ぜられた構成という点で、テレビ草創期のバラエティ番組と重なるものである。ともに1961年放送開始の「夢であいましょう」(NHK)と「シャボン玉ホリデー」(日本テレビ)が確立した「王道バラエティ」のフォーマットを、「スマスマ」が継承したかたちである。

これに関しては、SMAPがアイドルであったことが有利に働いた面もある。彼らはコントやフリートークに関しては素人であったかもしれないが、歌とダンスに関しては本業であった。それは逆に、お笑い芸人にはなかなか真似のできない部分であった。「夢であいましょう」や「シャボン玉ホリデー」の場合、歌・ダンスと笑いは、基本的に複数の出演者が分業するかたちになっていたが、その点SMAPは、すべてを自分たちでカバーすることができた。それは、大きな強みになったと言える。

つまり、ここにはひとつの逆説がある。

すなわち、SMAPはお笑いに関しては素人だったが、自分たちの活路を見出すため未知のバラエティの分野に進出せざるを得なかった。ところが、そうした彼らが逆に、バラエティのプロが築いた「王道」の伝統を受け継ぐポジションにつくことになったのである。

番組に宿るグループの歴史

だが「スマスマ」には、王道バラエティとは異なる別の面もあった。それは、SMAPというグループのドキュメンタリー番組としての側面である。

「スマスマ」がスタートしてわずか1カ月後の1996年5月、メンバーのひとり森且行が、オートレーサーに転身するためにグループを脱退した。その最後のテレビ出演の場が、「スマスマ」であった。いつもはゲストとのコラボとなる歌のコーナーでは、森自身の選曲によるSMAPメドレーが披露された。

その後も「スマスマ」は、グループにとって重大な出来事が起こった際に、彼らと世の中をつなぐ場になった。

2001年の稲垣吾郎、2009年の草彅剛が不祥事によって活動を自粛した際、活動再開の場として選ばれたのも「スマスマ」だった。ふたりはそれぞれ謝罪するとともに、そこでグループの一員として歌うことによって、再出発することができた。

そんな番組の歴史のなかで生まれたのが、2013年の企画「SMAPはじめての5人旅」である。グループ結成25周年を記念して、初めてメンバーだけで泊りがけの旅に出た。そのなかの5人によるカラオケの場面では、中居正広が自分たちの持ち歌である「BEST FRIEND」を聞いて号泣した。それは、かつて森の最後の出演回、稲垣の復帰回でともに歌われた思い出の曲であった。

また、今年2016年1月の分裂・独立騒動を受けて、メンバーたちによる緊急生放送があったこともまだ記憶に新しい。いまこの原稿を書いている時点ではわからないが、年内のどこかで解散発表を踏まえての放送が行われる可能性もあるだろう。

このように私たちは、「スマスマ」を通じてSMAPというグループの歴史に立ち会ってきた。それはいわば、SMAPが主人公のドキュメンタリーをずっと見続けてきたことに等しい。

この点は、SMAPが「アイドル」という存在であることとも深く関わっているだろう。というのも、アイドルとは常に未完成な存在であるところに本質があるからだ。

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