「愛するものが荒廃をもたらす」。英国の作家、オルダス・ハクスリー氏は1932年発刊の小説『すばらしい新世界(Brave New World)』でそう予言した。同作では娯楽や技術進化、モノの過剰などによって破滅した2540年の人類社会が描かれた。
米国はドナルド・トランプ氏を大統領に選ぶことでこの先500年間を飛び越え、まさに『すばらしい新世界』に到達しようとしているようだ。
米国の公共文化は長い間、民衆を放任する平等主義に彩られ、無限の創造性と抑制の効かない資本主義を支えてきた。
それは、かつてのソ連には魅力的だったのだ。ジョージ・オーウェル氏の小説「1984年」に描かれたように、ソ連では政府がすべての文化的創造性を地下に追いやっていた。米国が具現化した民衆の精神や想像力は、夢のような代物だった。
ソ連は1991年、反体制運動に押し流されて崩壊した。だが、ソ連市民が望んでいたような世界は実のところ、無意味な娯楽や幾多の下らないものに人々が抵抗できない、違った意味での監獄社会だった。そうした監獄はさほど不愉快ではない。それゆえに脱獄は難しい。これこそ、現在の米国が向かおうとしている社会なのだ。
米国政治は映画の世界へと変質
過去を振り返ると、米国の文化産業は長い時間をかけて、政治をシュールレアリスム(超現実主義)のハリウッド映画に変えていったといえる。たとえば『スミス都へ行く』(39年)では、ジミー・スチュワート氏が純朴で世間知らずの田舎者の上院議員を演じ、『市民ケーン』(41年)ではオーソン・ウェルズ氏が権力者を演じた。彼が演じた権力者はトランプ氏に酷似している。
60年に若く精悍なジョン・F・ケネディ氏が大統領選で当選したことで、政治はさらにハリウッド映画に近づいた。
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