日本人の「サムライ型」労働は、もはや限界だ 「電通過労自殺」はドイツからどう見えた?

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まず、「ドイツ」という国のあいまいさだ。ドイツは歴史の中で何度も国名を改め、領土の範囲も大きく変化している。現在の統一されたドイツには、まだ26年の歴史しかない。「国」という大きな概念があいまいな以上、信頼できるのは「個」ということになる。

もうひとつは、「権利」という概念だ。19世紀後半、ドイツはプロテスタントとカトリック、社会主義労働者とブルジョワジーが対立していた。当時政権を担っていた宰相ビスマルクは、文化闘争でカトリックを、社会主義者鎮圧法で社会主義労働者を弾圧した。それに対し両グループは、自衛のために労働組合という強い組織を築いた。労働者は自分の権利のために戦い、それによって現在の労働環境を獲得したのだ。

労働者の歴史が「権利」を自覚させた

ドイツという国のあいまいさが「個人」という自意識を芽生えさせ、労働者の歴史が「権利」を自覚させた。ドイツの労働者は、会社に生活を保障してもらっている、などとは考えない。労働による対価として報酬を受け取っているにすぎないのだ。日本は開国後、つねに西洋諸国の背中を追っていた。そもそも、1日8時間労働はイギリスや米国をはじめとした欧米の労働者が勝ち取った権利。有給休暇を初めて法的に保障したのはフランスだ。日本は西洋の労働者たちが勝ち取り、培った労働システムを取り入れたが、制度を取り入れても、すぐに価値観が変わるわけではない。その結果が、西洋式労働制度のもとで働く「サムライ型」労働者の存在というねじれた現象なのだ。

現代の日本の労働環境は、西洋の契約社会のレールに「集団主義」という車体を乗せているようなものだろう。本来、動くはずはないのだが、「忠義と滅私奉公」でなんとか車体を動かしていた。車体に名前をつけるなら、「頑張れ! 忠臣号」だ。しかし現代は、忠義を尽くしても会社が人生を保障してくれるわけではない。滅私奉公を強要する「サムライ型」労働者に人生を潰されないために、若者には自衛を強く呼びかけたい。そこで参考になるのが、ドイツ人の労働に対する価値観である。

一番の武器として考えられるのが、特化型人材になることだ。ドイツ人は契約をできるだけ有利にするために、自分のスキルを磨き猛烈にアピールする。どの会社でも通用する専門知識やスキルは、自衛のための有効な手段だ。日本は「総合職」などという、あいまいな職務が多い。間口を広くしておけば、その中にあらゆる仕事を詰め込まれてしまう。だが、何かに特化しておけば、会社もスキルに期待して、その分野の仕事を与えるだろう。

次に大切なことは、「これ以上求められたら辞める」と決めてしまうことだ。残業時間でも仕事量でも、「これ以上は無理」というラインを自覚しておかないと、際限なく追い詰められてしまう。自衛を考えるに当たって、退却するタイミングは重要だ。ドイツ人ほど堂々とNOとは言えずとも、このラインが身を守る鎧になる。

そんなことを言うと、「転職は簡単じゃない」とか「退職したら奨学金が返せない」という声が聞こえてきそうだ。確かに、そうした社会の構造はすぐには変わらない。少なくとも「サムライ型」上司が定年するまでの10~20年は変わらないだろう。ならば、その社会の中でどうやって生き抜くかを考えるべきだ。幸い、少しずつではあるが多様な働き方を認めようとする動きもある。スキルさえあれば、そういった企業への転職も可能だろうし、独立もできる。「サムライ型」労働者に斬られないように、若者は鎧をまとい、武器を磨くことを意識するべきなのだ。

雨宮 紫苑 フリーライター

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あまみや しおん / Shion Amamiya

1991年、神奈川県生まれ。立教大学在学中にドイツで1年間の交換留学を経験。大学卒業後再び渡独。ワーキングホリデーを経て現地の大学へ入学し、現在フリーライターとして活動中。日独比較や外から見た日本など、海外在住者の視点で多数の記事を寄稿している。著書に『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)がある。

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