「WOWOWドラマ」は地上波放送と何が違うのか 他の民放ではありえない作品を次々と映像化

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このように、今では局を代表する番組のひとつになった連続ドラマ。だが、当初は順風満帆とは程遠いスタートだった。

独自ドラマの誕生は2003年にさかのぼる。当時のWOWOWの主力コンテンツも映画、音楽、スポーツだった。制作部門は舞台やアニメなどを手掛けていたが、コンテンツを購入・調達するものが中心。そこで、自社で強いコンテンツを作るべく、持ち上がった企画がドラマだった。

WOWOWドラマ創生期から作品を作り続けてきた青木泰憲プロデューサー。「WOWOWでドラマ化した、下町ロケットは昨年、TBSでもやられてしまった。地上波が絶対にできないものをやっていきたい」

まずは3カ月に一度のペースで単発ドラマを手掛けてはみたものの、思ったような成果は得られない。どの層に向けて作り、どんな結果を得るべきか。ゼロからのスタートゆえに、基本方針すらなかったという。

初年度から日本民間連盟賞の最優秀を獲得するなど、業界内での評判は上々だった。しかし、ユーザーの認知度は低く、肝心の利用率を向上させることができない。「なんでカネをかけてドラマなんかやっているんだ」。社内の風当たりは厳しくなるばかりだった。

青木プロデューサーは当時を振り返る。「3カ月に1回、しかも単発なのでユーザーは気にもとめなかったのではないか。当時、ドラマがキラーコンテンツになると思っている社員は一人もいなかったと思う」。

地上波出身の重役が連続ドラマを後押し

転機となったのは、2008年の連続ドラマ化だ。青木プロデューサーは、視聴習慣が付き、満足度を高められる連続ドラマに挑戦すべきと提案していた。

当時はNHK出身の和崎信哉氏が会長に就任(2006年)。株主でもあるTBSとの人事交流で、田代秀樹氏がWOWOWの編成局長に就任(2007年)していた。地上波出身で連続ドラマの影響力をよく知る両氏の後押しもあり、WOWOWは連続ドラマ化を決断したのだ。

連続ドラマに初めて取り組んだ青木プロデューサー。心に決めた方針は、どんなコンテンツが見られているかを徹底的に分析し、ユーザーに合った作品を提供することだった。

WOWOWユーザーはやや年齢層が高いため、恋愛ものではなく、サスペンスや社会派ドラマが候補に上がる。また、当時は「クリミナル・マインド」「CSI:科学捜査班」といった海外ドラマシリーズがWOWOW内で人気を誇っていた。海外ドラマのファンをどうやって夢中にさせるか、これが第一のテーマだった。

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