サッカー界を牽引する「広島出身」監督の視点 U-16の4強入りの影にも名GMの功績
この夏、筆者が彼の母校、筑波大学蹴球部の創部120周年記念パーティーをのぞいたら、多忙で出席できない森山からのビデオレターが会場に流れた。こういうものは歓談中に次々流れるため普通ならスル―されがちなのに、森山のレターは会場を湧かせていた。
森山を選手時代から知る古株記者としては感慨深い。走れて人に強いサイドバックとして、サンフレッチェ広島にJリーグステージ優勝をもたらした雄姿を思い出す。と同時に、考える。なにゆえ、広島からこんなにも優秀な指導者があふれ出てくるのか。
森山をはじめ、現広島監督でJリーグ連覇を果たした森保一。アジアの大砲と呼ばれた現役を終え、V・ファーレン長崎監督として二度J1昇格プレーオフ進出を果たした高木琢也。現フロンターレ川崎監督の風間八宏。広島で選手として活躍した後に研鑽を続け、結果を残した指揮官は、枚挙の暇がない。
そこにひとりの男の名前が浮かんでくる。
広島ユースは「ひとりも見捨てない」
Jリーグ初のGMを務めた今西和男である。彼の時代から、広島ユースは「ひとりも見捨てない」ので有名だった。全員の進路の面倒を今西がみたからだ。プロ野球の広島カープ同様、少ない予算の地方クラブながら、J有数の強豪クラブになったサンフレッチェ広島の礎を築き、先に挙げたような輝く人材を輩出した。
その軌跡と人生の原点は、『オシムの言葉』の著者でもある木村元彦が描いた『徳は孤ならず 日本サッカーの育将 今西和男』(集英社)に詳しい。
Jリーグがスタートした当初から、今西は自前で選手を育てることに力を尽くした。岡田武史が所属したジェフユナイテッド市原(当時)がかつて「育成のジェフ」と呼ばれた頃、「育成の広島」と呼ばれた。その風土を退廃させず、スポーツの進化・強化に欠かせない「良質な指導者」を輩出できたのは、今西の功績に違いない。
森山は、筑波大時代に今西に誘われ、サンフレッチェの前身であるマツダに加入した。現役引退後に指導者への道に導いてくれたのも今西だった。
『徳は孤ならず』によると、森山はU16の選手たちにこう言うそうだ。
「15歳で代表に選ばれてA代表に残れた選手はほとんどいないぞ。逆に本田や、長友や、岡崎はその年齢でどうだった? 今、代表に呼ばれない連中がこれから凄い覚悟で向かってくるんだ。このままだと、おまえらは消えていくんだぞ」
そして、付け加える。
「おまえの武器は何だよ。何で生き残っていくんだよ?」
無料会員登録はこちら
ログインはこちら