震災後も変わらなかった日本社会の「異様」 東大卒国際政治学者、三浦瑠麗氏に聞く
――法学政治学研究科博士課程に進み、博士論文「シビリアンの戦争:文民主導の軍事介入に関する一考察」を執筆します。
普通の政治学者は、政治学の名著や論文を読んで教養を付け、博士論文を書きます。博士論文では、現代の問題はまだデータが十分でないので過去を扱うことが多いです。博士論文を書いて初めて、現代社会の問題を論じる時事的な興味にも手を拡げられます。しかし、私は政治学へ進むきっかけがそもそも時事問題だったので現代の問題にまず興味がありました。
特に関心があったのは留年を決めたころに始まったイラク戦争です。アメリカの軍人がイラク戦争に反対している点に興味を持ちました。こうした事象は、19世紀末に自由主義勢力の連立で成立したイギリスのアバディーン内閣が、軍人の反対にもかかわらずクリミア戦争に参戦した事実にさかのぼり、繰り返し民主国家に現れる現象だということも分かってきました。
そこでこのテーマを論文にしたわけですが、この研究は結果的にシビリアン・コントロールの根底を揺るがす問題提起を行いました。軍人は戦争をしたがって危険だから、職業軍人ではなく文民である政治家が軍隊の最高の指揮権を持つというのがシビリアン・コントロールの考え方です。しかし、その政治家を選出する主権者である国民が好戦的になれば、戦争が起こってしまいます。国際政治学の根底にある、自衛とはいえない戦争を起こすのは大日本帝国や帝政ドイツ、ナポレオンのころのフランスのような専制的な国家だとの考え方も崩したわけです。
とはいえ、現在の日本やアメリカ、フランス同士が戦争することは考えにくい。問題は、アメリカと対立している中国やイランの民主化が進んだ場合です。民主化しても相互に敵意が消えるとは限りません。民衆が戦争を支持し、民主的に選出された指導者が戦争を始める可能性があります。
「微修正」でない研究に面白さを感じて
――当時は研究にどんな面白さを感じていましたか。
博士論文には、新たなデータや文献を見つけて先行研究に反論する「積み上げ式」のものが多い。私の研究はむしろ「イラク戦争」を知りたいという感情に基づいています。その結果、学問の常識がひっくり返ったわけです。きっと先行研究に反論するという目的を持って研究したらうまくいかなかったかもしれません。「微修正」でない研究に面白さを感じました。