神津:日本の社会は、良い所でも悪い所でもあると思うのですが、「労働組合がなくても、コミュニケーションというか、横のつながりはあるよね」というのがどこかにありました。「同じ日本人だし、だいたい考えていることもそんなに極端に違わないだろう」みたいな、そういう社会がずっと維持されてきたところがあるでしょう。今もそれが残っているところもあるにはあります。でも「そんなこと言っていられるか」と、分断されてしまっているところもありますよね。
「1億総安心労働社会」をめざして
常見:オセロ社会の話に少し戻すと、忘れてはいけないのは、労働者は生活者でもあるのですよね。私は現在、大学の教員と、物書きの仕事をしていますが、生活者でもあります。家庭があり、会社員の妻の家事を少しでも軽減するために買い出し、料理、ゴミ出しなどは私が担当しています。
本来は1人の人間なのですが。気づけば、世の中は疲れた労働者とわがままな生活者になっていて、いじめあっている。良いサービス、安くてしかも良いものを求めるという流れというのは、それはもう人類の欲求ですけど、結局そこで、特にサービス業を中心とした、働き方の劣化につながっているのです。
山本 和代(連合副事務局長、以下、山本):「働き方改革」についての朝日新聞(7月20日朝刊)のコメントを拝見しました。「1億総活躍よりも1億総安心労働社会を」。連合は、「働くことを軸とした安心社会」の実現をめざしているんですが、まさに我が意を得たりです。
常見:「1億総活躍」という言葉にものすごく違和感があります。「これ以上、どう頑張れというのか」という労働者・生活者の声が聞こえてくる。政府は「働き方改革」として、「多様な人材の活用」や「柔軟な働き方の推進」を掲げていますが、働き手の側に立った改革ではなく、企業や国の側に立った「働かせ方改革」になっているように思えます。人口が減少し高齢化が進むなかで、労働力を確保しなければならないと。
「働き方改革」の議論で決定的に抜け落ちているのは、「いかに働かないか」「普通の人の、普通の仕事をどうするか」という視点です。「時間や場所にとらわれない柔軟な働き方」として、今提起されている改革案のほとんどは、画期的なようで昭和的世界観の延長にすぎない。職務範囲や責任をいかに明確にするか、いかに仕事の絶対量を減らすかという発想がないまま改革しても、労働強化につながるだけです。
神津:労働法制には、公労使が3者で話し合って決める仕組みがあります。他方ではそれぞれの職場の労使関係を通じて法律を上回る労働条件が実現され、その土台の上にすべての労働者に適用される法律を整備していくという積み重ねで、日本のワークルールは形成されてきました。
しかし、オイルショックを経て、バブル崩壊とグローバル化の大波に直面する中で、日本の雇用システムの見直し論が歪んだ形で進められ、労働者保護ルールが緩められてきてしまった。昨年には派遣法が改悪され、続いてホワイトカラー・エグゼンプション(WE)や解雇の金銭解決制度などが「成長戦略」として検討されようとしています。
この間の労働法制をめぐる動きを見てきて、私が一つ疑問でならないのは、派遣法改悪にしろ、WEにしろ、それは本当に経営者の方々の切実なニーズとして出てきているものなのかということなんです。
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