1円で乗れる「一円電車」に託す鉱山の街再生 「シンボル」復活と活性化に挑み続ける人々
兵庫県の山間部の町に、昔、鉱石の運搬に使用された鉄道の跡がある。その鉄道は鉱山の仕事に従事する人とその家族については1円の料金で運んだことから「一円電車」の愛称で呼ばれていた。
「一円電車」は昭和60年代の初めに廃止になったものの、いま、この跡を活用して、新たな地域の活性化に結びつけようという動きがある。それでは兵庫県・明延(あけのべ)の人たちはどのようなことを考えて復活に取り組んでいるのか。現地を訪ねてみた。
よみがえった「一円電車」
昔、「一円電車」の愛称で親しまれた鉄道があったのは、兵庫県養父市大屋町明延。兵庫県の山間部にあるこの地では、古く平安初期には鉱脈が発見され、スズ、銅、亜鉛などが産出された。1912(大正元)年には、明延で産出された鉱石を、山ひとつ離れた神子畑(みこばた)に設けられた選鉱所に運ぶことを目的とした「明神電車」が開業。鉱石の運搬を行うと同時に、鉱山で働く人とその家族を料金1円で運んだことから「一円電車」と呼ばれるようになった。
一時期には4000人を超える鉱山関係者がいたという明延鉱山だが、1987(昭和62)年3月には閉山となり、「明神電車」も廃止となった。
以後、明延の町は、歴史の流れから取り残されたかのようにひっそりとした佇まいを見せていたが、町のシンボルでもあった「一円電車」を復活させようという動きが地元の有志の間で起こり、2010(平成22)年10月から、毎月、春から秋にかけての第一日曜日に復活運転が行われるようになった。
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