バブル期の都内地下鉄車内は"熱地獄"だった 電車の冷房はいつから当たり前になったのか
うんざりするような暑さが続く夏。混み合う朝晩の通勤電車になくてはならないのが冷房だ。強い日射しが照りつけるホームから冷房の効いた車内に入るとほっとする、という人も多いだろう。現在では都市部の通勤電車は冷房付きが当たり前となり、全国的に見てもエアコンのない列車はわずかだ。
だが、首都圏でも1980年代までは、冷房のない電車がまだまだ走っていた。初夏になると、かつては新聞に「電車の冷房化率」の記事が掲載されていたことを覚えている人もいるのではないだろうか。酷暑の東京でも、地下鉄が全て冷房車になったのは今からちょうど20年前の1996年。首都圏で育った人なら平成生まれでも「クーラーのない地下鉄」の記憶があるかもしれない。
東京でも20年前には「非冷房」
東京の地下鉄で最後まで残った冷房のない車両は、この7月に譲渡先のアルゼンチン・ブエノスアイレス地下鉄から里帰りを果たした丸ノ内線の赤い電車だ。最後は中野坂上~方南町間の支線を走っていたが、1996年の7月にエアコン付きの新車と交代して引退し、東京の地下鉄は全て冷房車両になった。
1990年代半ばといえば、家庭ではすでにエアコンが一般化していた頃。内閣府の「主要耐久消費財の普及率」調査によると、1996年度の一般世帯のエアコン普及率は77.2%だ。ちなみに2014年度には90%まで増えている。
では、首都圏で電車の冷房はいつから始まり、いつごろから当たり前になったのだろうか。過去の報道などをもとに探ってみた。
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