バブル期の都内地下鉄車内は"熱地獄"だった

電車の冷房はいつから当たり前になったのか

日本の鉄道に冷房車が初めて登場したのは、今から80年前の1936(昭和11)年。南海電鉄が、大阪金属工業(現在のダイキン工業)製の冷凍機を使った冷房車を試作したのが最初だ。翌年には8両の冷房車が登場して好評を呼び、冷房車に人気が集中したためかえって暑かった、といったエピソードも残されているが、1937年には日中戦争が勃発し、戦時体制が強まる中で冷房車両は中止に。戦前の冷房電車は2シーズンのみで幻と消えた。

戦後、昭和30年代に入ると特急列車などでは冷房が普及し、1964(昭和39)年に開業した東海道新幹線は最初から冷房完備で走り始めたが、名古屋鉄道(名鉄)が1959年から特別料金不要の特急電車に冷房車を導入したのを除けば、通勤電車の冷房は後回しだった。東京オリンピックが開催された当時、首都圏の通勤電車には冷房付き車両は1両もなかったのだ。

では、当時の東京は今よりも涼しかったのか。気象庁のデータをもとに、昭和30年代(1955〜1964年)の8月の平均気温を算出してみると26.7度。一方、2005〜2015年の平均は28.1度だ。猛暑の年もあれば冷夏の年もあるため一概には言えないが、平均的に見れば昭和30年代の夏はここ10年よりも1度以上は気温が低かったことになる。

「猛暑の満員通勤」は今より辛かった

とはいえ、昭和30〜40年代のラッシュ時の混雑率は凄まじかった。今でも混雑率が199%(2015年度)だが、JR線で最も混みあう路線である総武線各駅停車の1963年の混雑率はなんと315%。横須賀線では1968年に327%を記録するなど、現在をはるかに上回るまさに「殺人的」な混雑だった。今よりも多少気温が低かったとしてもこれでは辛い。

そこで、昭和40年代に入ると通勤電車の冷房化に向けた模索が始まる。首都圏で初めて冷房付き通勤電車を導入したのは京王電鉄だ。1968年に最初の車両が登場した際の新聞は「猛暑の満員通勤を想像してぞっとしているサラリーマンにとって、なによりの朗報」(読売新聞)と報じており、期待の高さが伺える。1970年の夏には、国鉄(現JR)でも山手線と関西の東海道本線・山陽本線で通勤電車の冷房が試験的に始まった。

今から40年前、1976年の首都圏の通勤電車の冷房化率は、当時の報道によると国鉄が27%、大手私鉄7社が29.3%。路線別では東海道線がもっとも高く92%で、次いで横須賀線が85%。山手線は39%、中央線快速は21%。私鉄では1位の京王が49.4%、2位の小田急が44.6%だ。冷房のある電車が来る確率は、東海道線や横須賀線を除けば半分以下だったことになる。

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