バブル期の都内地下鉄車内は"熱地獄"だった 電車の冷房はいつから当たり前になったのか
1970年代に始まった通勤電車の冷房化はその後急速に進み、約10年後の1985年には国鉄が冷房化率81%、大手私鉄7社は77%まで上昇。横須賀線・総武快速線と中央線快速は100%冷房車となった。
私鉄はトップの西武が92%、2位の京王が89%に。特に、京王井の頭線は全車が冷房付きになった。大手私鉄では阪神電鉄が1986年に初の全車冷房を達成し、関東では翌1987年に相鉄が完全冷房化。その後京急、小田急、西武が続き、初の冷房通勤電車登場から約20年でほぼ全線が冷房付きになった。
この流れに取り残されたのは地下鉄だ。営団地下鉄(現東京メトロ)の1987年の冷房化率は0%。地下鉄は車両を冷房化すると、排熱でトンネル内の温度が上がるという問題を抱えていたためだ。地下鉄の「暑さ」が課題として浮上したのは昭和40年代初頭。利用者の急増に加え、ビルの増加による地下水のくみ上げによってトンネルを冷やす作用が弱まった……と、当時の新聞記事は伝える。
この対策として行われたのは「トンネルの冷房」。電車の車内を冷やすのではなく、トンネルを冷やすことで温度の上昇を防ぐことにした。駅とトンネルの冷房は1971年にスタート。地上を走る鉄道の冷房化が始まった時期と変わらない。だが、トンネル冷房は不評で、電車や冷房装置の技術革新で温度上昇が抑えられるようになったことから、結局は1988年から車両の冷房化を開始した。同年の営団地下鉄の冷房化率は35%。バブル経済真っ盛りの頃、サラリーマンは灼熱の地下鉄で通勤していたわけだ。
暑さ解消、今度は「寒すぎ」に
冷房車両が普及すると、逆に広がってきたのは「寒い」という声だ。弱冷房車が初めて登場したのは1984年。京阪電鉄が他社に先駆けて導入し、その後1987年にJR東日本が東海道線、横須賀・総武快速線で開始した。現在、大手私鉄では全社に弱冷房車がある。冷房の設定温度は各社ともおおむね25〜26度で、弱冷房車はこれより2度高い28度が平均的だ。
例外的なのは都営地下鉄大江戸線。同線は冷房の設定温度が低く、都営地下鉄の他の路線が25度なのに対して23度。弱冷房車も他線は28度だが、大江戸線は26度となっている。東京都交通局によると、全線が地下を走り、トンネルや車両が他の地下鉄各線と比べて小さい同線は熱がこもりやすく、車内が暑くなりやすいためという。
年々暑さを増していく感のある日本、そして首都圏。かつては贅沢品扱いだった冷房も、今では熱中症対策として積極的に使用が呼びかけられるようになった。近年は冬が近くなっても車内冷房が入っていることが珍しくなくなっているが、今年の夏の暑さ、そして冷房が欠かせない時期はいつまで続くのだろうか。
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