大戸屋、創業家が明かす"乗っ取り"の全内幕

沈黙を破って「不信の起点」を語った

大戸屋が2001年に店頭市場(現ジャスダック)に上場するまで、社外取締役を数年間務めた、あるOBは「健康的で女性も入りやすい、モスバーガーの定食版をつくりたいというのが大戸屋の出発点。久実さんは松下幸之助を尊敬しており、世界に日本の食文化を伝えたいと繰り返し語っていた」と当時を振り返る。

その理念を具現化し、久実は1992年に現在展開する「大戸屋ごはん処」のモデルとなる店を開業。店内調理や健康志向を売りにしたメニューと、女性でも気軽に入れる雰囲気を持つことで人気を博し、国内342店、海外94店という規模まで拡大。モスフードと同じように、国内の6割近くはFCが運営している。

久実は2012年、従兄弟である窪田健一に社長の座を譲り、会長に専念した。国内事業を窪田に任せ、自らは大戸屋の味を世界に広めていくため、海外事業に心血を注いだ。

早すぎた久実の死

生家の角に掲げられた看板。河合氏の意向で今年春、「大戸屋グループ創業者 三森久実生誕の地」という表記に変えられた(写真:記者撮影)

順調だった拡大路線の歯車が狂いだしたのは、今から2年ほど前、2014年7月にさかのぼる。久実は突然、末期の肺がんで余命1カ月と宣告されたのだ。

この時点で久実の持ち株比率は約18%、遺族が株を引き継いだ場合、多額の相続税が発生することが見込まれた。

久実は自らの保有する株を、創業家として三枝子と智仁に保有し続けて欲しいという意向を示していた。そこで、会社の内部では、密かに久実に対する功労金支給の検討を始めた。株の相続に伴い発生する、多額の相続税への対策だった。

久実は、次兄で東京慈恵会医科大学・消化器外科の医師である教雄を主治医とした。だが、抗がん剤の治療を受けながらも、息子の智仁を伴い、海外のFCオーナー訪問を続けていた。将来を継がせるため、顔見せ的な意味合いがあったとされる。

実際に久実は生前、「智仁を後継者に」という意向を周辺の親族だけでなく、窪田など主要な経営幹部にも伝えていた。

2015年6月25日の定時株主総会で智仁は常務取締役・海外事業本部長に選任された。その時点で、久実はもはや壇上にあがる体力もなく、別室のモニター越しに息子の”晴れ舞台”を眺めた。同年7月27日、久実は容態が急変し、帰らぬ人となる。

8月1日、生まれ故郷である山梨市で営まれた告別式では、元会長で相談役の河合直忠が弔辞を読んだ。三枝子と智仁の希望によるものだった。河合は、大戸屋のメインバンクである旧三菱信託銀行(現三菱UFJ信託銀行)で常務取締役を務めた人物で、久実が2002年に会長として招き入れた。その後、2010年に取締役を退任し、この時点では相談役となっている。

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