隠岐「島宿」が"大入り民宿"に大化けした理由 後継者を育てなければ宿は消え地域衰退へ…

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海士町の民宿を守り、育てるきっかけは、平成21年にIターンで島に移住してきた研修生たちが民宿に泊まり、民宿の良さと課題の両方を実感したことからだった。郷土色あふれる料理をはじめ、宿の個性は素晴らしかったが、当時、宿の水まわりは生活感がにじみ出て、清潔感に欠ける面もあった。このままでは「お客様にとって宿選びはバクチに近い」と思い、民宿にかけ合った。その結果、わかったのが経営者の努力だけでは追いつかない「担い手不足」だった。

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海士町観光協会「マルチワーカー」チームの皆さん(筆者撮影)

そこで、研修生が観光協会職員となり、自ら清掃や整理整頓を手伝い始めた。現在では観光協会が労働者派遣事業者となり、自らが自らを民宿等の事業者に派遣する「マルチワーカー」事業を展開するようになった。

「定期的な清掃やバックヤード業務」、「港からのお客様の送迎」、「リネン類のクリーニングや貸し出し」、「インターネット販売のための商品管理」などを、担いきれない民宿に代わり、観光協会と島ファクトリーが代行している。そして、お客様に満足して泊まっていただける品質を確保し、「島宿」ブランドを島外に発信している。

この事業を展開するために、業務用クリーニング工場も設置した。そのためにクリーニング業務従事者の講習を受け、週2~3日稼働させている。この業務を担っているのが島ファクトリー。社員全員が観光協会との兼務者だ。

料理のできる後継者を育成

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現在建設中の「島食の寺子屋」(筆者撮影)

さらに、海士町観光協会では、島流しにされた後鳥羽上皇が上陸したと伝わる島南端の「崎」集落で、2017年4月のスタートを目指し、保育所跡地に「島食の寺子屋」を建設中だ。

全国から料理人になりたい人や、民宿を後継したいという若者を募り、古民家のシェアハウスで共同生活しながら、民宿・ゲストハウス・飲食店等の経営者兼料理人を養成するという。「島食の寺子屋」は、漁場や農地に自分の足で歩いて行ける環境にある。その日調理する素材を目利きして調達してくる力や、その日調達できた限られた食材から一品を発想する力、を毎日のように磨ける場であり、そういった力を養うことが民宿の運営にとって大きな強みになる。素材から料理を学ぶ若者を育てる背景には、民宿の後継者を育てなければ、宿は残せないという危機感がある。同時に、この取り組みをもって、過疎化が進む集落の再生に一石を投じようともしている。

海士町では、島全体を1つの会社と見立て、観光地マネジメントを実行している。まるで現代によみがえった「結(ゆい=小さな集落での共同作業の制度)」のように、後継者のいない民宿があれば業務を手伝い、場合によっては観光協会が運営も受託する。将来のために、料理のできる運営者を養成する。この手法は民宿に限らず、製菓業や土産店など観光産業全般にも広げていくことを考えているという。そして、それを支えるのは、町の移住・定住政策だ。

観光マネジネントとは、ただ集客を促せばよいというものではない。その地域に人を呼ぶためには、産業の灯を消さないことだ。そのために、人材全体をマネジメントすること。そうしたサイクルがあって初めて観光地が成り立つことを海士町は証明しようとしている。

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