テレビは「視聴者の想像力」を信用していない 是枝監督が映画「いしぶみ」に込めた反骨心
――映画の表現にもテレビと同様の課題があるのでしょうか?
テレビ番組だけではなくて、映画も「想像するのは疲れるでしょう、何も考えずに済む疲れない作品を提供しましょう」というスタンスで作っていると、作品のラインナップが偏ってきますよね。
実際、3Dから4D(座席が動いたり、水しぶきや香りなどが加わった、体感型の上映システム)になって、映画館での映画体験が東京ディズニーリゾートやユニバーサル・スタジオ・ジャパンのアトラクションと並列で語られています。
エンターテインメントとして、アトラクションと人気を競い合うような作品もあっていい。でも僕の中でそれは、映画体験ではないんです。だから、そことは違う作品を作り続けて抵抗していきますよ。
これだけCGの技術が上がると、「血が飛び散る」「体が吹っ飛ぶ」といった悲惨さをそのまま描写し、戦争の悲惨さを伝えることはできます。少し前に観たハリウッド映画では、冒頭の10数分間、ワンカットで弓矢が飛び交い、血が吹き出て倒れる人々の生々しい描写が続きました。臨場感という意味ではすごいけど、僕はあまり好きじゃないんだよね。
視聴者の想像力に委ねることも、表現方法
僕が好きなのは、黒木和雄監督の『TOMORROW 明日』。原爆が落とされる1日前の長崎の家族の日常が淡々と描かれていて、原爆によって結局何が失われたのかを直接的に描かず、想像の中で描いてもらう。こちらの描写が好きなんですよね。
たとえば、当時の広島の街中を撮影した写真で、被爆者たちの背中しか写っていないものがあります。正面に回ると、目を背けたくなるような直視できない状況だったから、カメラマンが遠くから被爆者の背中しか撮れなかったわけです。
この、「遠くから背中しか撮れなかった」という事実にこそ、悲惨さが表れている。その事実も含めて写真の表現です。見ている人の想像力に委ねるということもまた、表現方法のひとつなんです。
(撮影:田所千代美)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら