いまだ燻りつづける、わが国の領土問題

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火種を放置している竹島問題

竹島に関しては、韓国は「竹島は自国領土であり、紛争は存在しない」と主張しています。実際に、1954年以降、韓国は竹島に警備隊員を常駐させ、宿舎や監視所、灯台、接岸施設等を構築しています。この竹島も、歴史的な経過を見てみると、やはり第2次大戦までさかのぼります。第2次大戦後、連合軍総司令部指令により、竹島は済州島、鬱陵島とともに、日本の範囲から除かれる地域とされ、日本人の接近が禁じられました。つまり、1946年1月、連合国総司令部の「若干の外郭地域の日本からの政治上及び行政上の分離に関する覚書」(SCAPIN第677号)により、竹島は、日本が政治上又は行政上の権力を停止すべき特定地域の1つとされたのです。また6月には、いわゆる「マッカーサー・ライン」の設定に関する「日本の漁業及び捕鯨業許可区域に関する覚書」(SCAPIN第1033号)が発せられ、竹島は、日本漁船の操業区域外の地域として指定されました。 

しかし、これらの連合国総司令部覚書の文中には、いずれも「日本国領土帰属の最終的決定に関するものではないこと」が明記されており、だからこそ日本は、これらが竹島を日本の領土から除外したものではないことは明らかだと主張しているのです。そして、1952年4月に発効した「サンフランシスコ平和条約」の草案起草過程において、韓国は米国に対し、日本が権利、権限及び請求権を放棄する地域の1つに、竹島を加えるよう要求しました。しかしながら、米国は、「かつて竹島は朝鮮領土として扱われたことはなく、朝鮮によって領有権が主張されたとも思われない」と回答し、この要求を受け入れませんでした(これは日本の外務省の主張で、韓国政府は受け入れていないようです)。

一方の韓国は、1952年には、李承晩国大統領がいわゆる李承晩ラインを設定して、竹島を含む水域に対する一方的な主権宣言を行いました。韓国は、上記の連合軍指令を根拠に、連合国は竹島を日本の領土として認めていなかったと主張しました(前述のように連合軍指令には、国境線の最終決定ではないとのただし書きがあります)。わが国は、戦後の日本の領土を確定したのはサンフランシスコ条約で、ここでは「日本は…済州島、巨文島、及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と規定され、竹島の領土放棄は行われていないと主張しているのです。

我が国は、1954年と1962年に竹島問題の国際司法裁判所への付託を提案しました。しかし、韓国はこれを拒否。国際司法裁判所は、紛争の両当事者が同裁判所において解決を求めるという合意があって初めて動き出すという仕組みになっているので、仮に我が国が一方的に提訴を行ったとしても、韓国側がこれに応ずる義務はありません。韓国が応じない限り国際司法裁判所の管轄権は設定されないのです。 1965年の「日韓基本条約」に関する「紛争の解決に関する交換公文」では、「調停によって解決すること」とされているのにも関わらずの調停拒否です。

現在、韓国は、引き続き警備隊員を常駐させるとともに、宿舎や監視所、灯台、接岸施設等を構築しています。我が国としても、きちんと竹島問題について何らかの解決策を模索しないといけまません。問題の先送りは将来の火種をそのまま放置していることに等しいはずです。この12月には韓国の大統領が変わります。一つの機会と言えるかもしれません。

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