大戸屋、渦中の社長が「お家騒動」を独占激白 創業の精神「母の心」はどこに消えたのか

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国内で約340店を展開する大戸屋(撮影:尾形文繁)

――亡くなった久実前会長は、窪田社長に何を残したのか。

大戸屋には「かあさん額」という額縁があり、「『かあさん、おなかすいたよう』こんな言葉に こんな心にこたえたい」と書かれている。根底にあるのは「人が人を想って、食事を作っていくことが大事」「手間暇かかるものを出すこと、それが食べ物屋としての使命」だという考え方だ。

(食材の仕込みを集中的に行う)セントラルキッチンを使えば、食の工業化になってしまう。ましてやコンビニやスーパーもレベルが上がっている。大戸屋にとっては店内調理が最大の差別化になってきている。

われわれは、本当に手間暇かかることを愚直にやってきた。前会長は「美味しいものを、しっかり出すことが一番の広告宣伝だ」と言ってきた。私は愚直にやっていくことは変えないが、お客様に対する「大戸屋はこんな良いことやっているんだ」という伝え方を変えたい。

亡くなった久実氏は窪田社長の従兄弟に当たる

――久実前会長とは親戚関係だとか。

前会長は養子に出ている。前会長の実母は、私の母親の姉にあたる。だから私と前会長は13歳違うが、従兄弟の関係に当たる。

――入社のきっかけもそこにあるのか?

前の同僚と一緒に会社を辞めて、半年ぐらい八百屋をやったが、なかなかうまくいかなかった。創業者である三森栄一が、1958年に池袋に作った「大戸屋食堂」は小さい頃から知っていたし、養子だった久実前会長自身が蝶ネクタイ姿で、キッチンやホールで働いているのも知っていた。

人生の岐路でどうしていいかわからない時に従兄弟の前会長に相談したら、「大学まで出ているのに何やってるんだ」と怒られた。「ふらふらしているなら働け」と言われたのが、そもそものきっかけ。27歳で大戸屋に入社し、それから20年近く前会長と一緒にやってきた。

――2012年に社長に就任してから、売上高は伸びているものの、利益はほぼ横ばいだ。

経営指標から見て、利益率はもう少し伸ばしたい。ただ、お客様が喜んでくれるのであれば、薄利でも良いものを出していくことが、私としては大事なことだと思っている。 

常盤 有未 東洋経済 記者

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ときわ ゆうみ / Yuumi Tokiwa

これまでに自動車タイヤ・部品、トラック、輸入車、楽器、スポーツ・アウトドア、コンビニ、外食、通販、美容家電業界を担当。

現在は『週刊東洋経済』編集部で特集の企画・編集を担当するとともに教育業界などを取材。週刊東洋経済臨時増刊『本当に強い大学』編集長。趣味はサッカー、ラーメン研究。休日はダンスフィットネス、フットサルにいそしむ。

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