目の前の盤面と脳内の情報を瞬時に照らし合わせ、何手も先を読んで指し手を選ぶが、対戦するAIにも膨大なデータを覚えさせ、超高速のCPUで計算させて指し手を選ばせているという。単純なデータの蓄積量では人間は機械にかなわない。コンピュータの能力が向上すれば、人間に勝るのも当然のことだ。
しかし、マンカウスキー氏は「どうやってもコンピュータが人間に勝てない領域」があり、それは「ひらめき」だと主張する。偉大な作曲家や高名な数学者の業績は必ずしも机上で生まれてはいない。料理を作っているとき、散歩をしているとき、シャワーを浴びているときに突然ひらめくらしい。人間は別の作業をしていても、脳の中で無意識に別の課題を考えていることがある。ふと美しい答えが生まれたときに、それがひらめきとなってアウトプットされる。これは人間にしかない能力だと、マンカウスキー氏は力強く語った。
自動運転は社会イノベーションの入り口のひとつ
マンカウスキー氏のあまりに柔軟で刺激的なトークにすっかり引き込まれ、思わず「なぜ社会学者なのですか?」と尋ねたことがあるが、その答えがユニークだった。
まず自動運転によって社会が大きく変わるということ。しかし、前例がないので、どう変えればいいのか、答えは霧の中だ。その意味で社会受容性をしっかりと考えないといけない。また、テクノロジーの進歩で人間の思考パターンやライフスタイルが大きく変わってしまう。2007年に登場したiPhoneをきっかけに、わずか10年で驚くほどの変化が起きている。次の10年はもっと変化するだろう。
しかし、どう変化するのか、その予測が難しいと、マンカウスキー氏は語った。つまり、いままで培ってきたクルマ作りの成功体験では、この新しいチャレンジができないという。
自動運転は社会イノベーションの入り口のひとつに過ぎないのではないだろうか。未来の機械と人間の関係は神様が考えていなかったシナリオに発展するのかもしれない。それが良いか悪いか今の私たちには予測できないが、交通事故は劇的に減らすことはできそうだ。
昨今は若年層の交通事故死傷者数の減少が顕著であるのに対して、高齢者層の死傷者数は横ばい、ないし微増である。人口構成比を考えれば、この逆転現象は当然かもしれないが、だからといって死傷者数が増えていいはずがない。高齢者が引き起こす交通事故ではブレーキとアクセルの踏み間違いなど、加齢による衰えに起因する事故が目立つ。自動運転になれば少なくともこの種の事故は減るだろう。
また、自動運転車は高齢者に移動の自由を提供してくれる。いくら世界が進化して、バーチャルリアリティでさまざまな疑似体験が可能になったとしても、実際に人と会い、実物に触れることを人間はやめないだろう。プラット氏の語るとおり、モビリティはQOLと密接にかかわっているのだ。
さらにその先、AIは人類にどのような価値をもたらしてくれるだろう。人間は実現できない未来を想像しないという。想像の翼を広げることが豊かな未来を引き寄せるのかもしれない。
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