――個々人が主体的に価値の創出に取り組まないと、「パートナーシップ型」を築くことは難しそうですね。これまでも、単純な事務などの領域がコンピューターに代替されてしまう可能性は、指摘され続けてきました。
私が最近注目しているのは、銀行の動きです。りそな銀行の豊洲支店で、受付が全てロボットになりました。三菱UFJ銀行も、カスタマーサポートに関しては、IBMのWatson(ワトソン)を採用するということをアナウンスしています。Watsonの銀行デモを見ていると、瞬時に日本語と英語を切り替えられるし、あるいは口座の開設の手続きとかは問題なく案内している。
今までの教育は、答えが存在しました。で、全部記憶してもらって、「それがちゃんと記憶できたかどうかテストします」と。しかし、Pepper(ペッパー)のデモ見せてもらったときに思ったのですが、ソフトバンクショップにいる彼らは、料金プランとか全部、完璧に覚えられるわけです。ということは、記憶が前提になるものであれば、Pepperに勝てない。
記憶だったら、別に検索をしたり、Pepperに聞けばいいという時代になるので、記憶が完璧かどうかは問題ではなくなってきている。そうではなくて、「あなたは、この目の前の事業、サービス、商品に対してどう思うのか?」という、課題発見、課題解決をするスキルが求められている。
労働者の思考は200年変わっていない
――ロボットでは不可能な、人間ならではのスキルを身につけなければならない、ということ。
私、労働の話を調べれば調べるほど戦慄が走るのですが、イギリスで1810年に産業革命が起きた時に、「ラッダイト運動」がありましたよね。
――産業革命によって登場した機械が浸透することで、仕事を奪われるのではないかと恐れを抱いた労働者が、紡績機などを打ち壊した運動ですね。
そこで起きていた労働者の言説と、今現在、例えば飲食店の「ワンオペ」に対して怒っていたり、「自動運転が実用化されると労働がなくなる」と不満を言う人の言説って、実はこの200年ほとんど変わっていないんです。これほどまでに、人は長期的にものを見れず、自分の今ある労働が奪われるか否かでしか考えられない。これは、私は非常に問題だと思っています。
――ただ、今までやっていたことが急に役に立たなくなり、「仕事がない」と言われてしまったら、対応できる人の方が少数派であることが現実ではないかと……。
そこで必要になってくるのは、やはり教養だと思います。人間とロボットを含めて世界がどうなるのかを考えて、その中で、人間としての自分がどういう立ち位置になるのかを考えられる、ということですね。
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