さらばフォーシーズンズ、椿山荘が衣替え 外資系の先駆け、和に回帰

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スイートから見渡す庭園の俯瞰

現在でもホテルスタッフは藤田観光の社員であり、ブランドを変えたからといって、サービス水準に大きな変更はない。むしろ国際レベルで培った接客水準にさらに磨きをかける戦略を採り、「外資系ラグジュアリーを凌駕し、それぞれのお客様を思いやったサービスを提供する。日本の素晴らしさ、日本のこころを伝えたい」と八丁地常務は説明する。

山県有朋が命名

椿山荘のある東京・文京区の関口周辺は、南北朝時代から椿の咲く「つばきやま」と呼ばれており、松尾芭蕉も江戸時代に一時居を構えた丘陵地。日本軍閥の祖といわれ内閣総理大臣も務めた山県有朋が私財を投じて1878年に当地を購入、つばきやまから「椿山荘」と命名した。

東京大空襲で記念館や邸宅、樹木の大半が消失したが、1948年に藤田鉱業(現藤田観光)が復興に着手、52年に椿山荘が完成・開業した。以来、約2万坪の広大な庭園を生かした結婚式場を持つ宴会場として発展してきた。

13年1月1日付でホテル椿山荘東京の初代総支配人に就任する浦嶋幸一取締役(現・太閤園総支配人)は、「世界をもてなす、日本がある」を新ホテルのコンセプトに掲げ、260室、36宴会場、5挙式場、12レストランの巨大施設を切り盛りする。

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