「京都鉄道博物館」車両搬入はドラマの連続だ さまざまな難関をいかに通り抜けたか?
京都鉄道博物館が待望のオープンを迎えた。前身である梅小路蒸気機関車館と交通科学博物館を統合して規模を大幅に拡大したことで、収蔵車両は古典蒸機から新幹線電車まで53両を誇る。
線路とは切り離された博物館に車両を搬入する作業、それは1両1両がドラマであった。方法は大きく分けて二つ。新幹線車両や交通科学博物館収蔵車両は陸送、最近まで現役だった車両や基地に保管されていた車両は事業回送や自走により運び込まれた。また、博多総合車両所で整備を受けた500系と100系は博多港から神戸港まで航送された。このとき、一つのエピソードが生まれた。運ぶ船の船名が図らずも「のぞみ」だったのだ。
わずか10cmの間隔
神戸港、あるいは大阪からトレーラーで運ばれてきた車両は国道1号から大宮通、または堀川通を北上。それより左折して博物館への最終ルートは当初、大きな七条通が想定されたが、最後に館付近のタイトな4段クランクが、いかなる軌跡図を描いて検討しても無理なのだった。
そこで結論として採られたルートは、一本南の京都水族館裏手、木津屋橋通にバックで入り、最後は梅小路公園の一角を横断するものだった。その道はさして広くない生活道路である。そこを、巨大な車両を積んだトレーラーが微速で後退する(搬入後の取り回しにより前進の場合もあった)。そのシーンを想像するだけで、繊細かつダイナミックな作業であったろうと伝わってくる。
最後の難関は、山陰本線の高架橋。車体が大きい新幹線車両となれば、トレーラーは最も小さいタイヤを履き、スカート、パンタグラフ、静電アンテナの全て外しても、高架下との空頭まで10cmしか残らない。無論、正確な事前調査を行い、10cmの余裕を持たせることが可能だから通過が決定されたのだが、とは言え、いざ本番を迎えたときの緊張感は並大抵ではなかったと担当者は語る。
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