「京都鉄道博物館」車両搬入はドラマの連続だ さまざまな難関をいかに通り抜けたか?
一方、オンレールで運ばれてきた車両は隣接の梅小路運転区に入り、それから転車台を使って耐震補強工事中の扇形車庫12番線を経由して搬入された。転車台には、通常ならばあるはずもないクハネ581、クハ489、クハ103も載った。自重100.8tのEF66も難なく載った。
この12番線は、かつて梅小路蒸気機関車館の展示運転線だった線路であり、今回、ごく一部を復活する形で仮設線路が敷かれた。その時点ではまだエントランスは建設されておらず、そこで車両を吊り上げてトレーラーに載せ替え所定の場所へ移動した。すなわち、外から運び込んだ全34両のうち、運転区とレールが繋がる引込線の展示車両3両を除く31両は、何らかの形でクレーンやトレーラー、ジャッキを駆使した搬入大作戦だった。
順序としては本館の奥の展示車両から始め、本館手前、トワイライトプラザ、そして入口付近のプロムナードと固めていった。本館は2014年12月から2015年2月、トワイライトプラザは2015年4月、プロムナードの展示車両は2015年7~8月で、扇形車庫の耐震補強、本館内工事も佳境にあるため、それらとのスケジュール調整を図りながらの搬入となる。一般的な現場では見ることのないアクロバティックな据え付け作業に、建築側の作業者も珍しそうに見守っていたそうだ。
動く部分は動く状態で保存する
とりわけ圧巻、迫力を極めたのは、かさ上げ展示が計画されたDD51とEF66。当初計画では、展示台の手前に仮設の台を構築し、門型の油圧ジャッキで仮台に持ち上げてから所定位置に引き込む数多くの工程で計画された。
ところが搬入業者との打ち合わせ中に荷台を昇降できるトレーラーの存在が伝えられ、トレーラーを台に接続させ、荷台ごと持ち上げて車両を引き込む方法に変更した。仮台の構築から始めると1両につき1週間ずつかかる予定だった作業工程が1両あたり1日の作業となり、工期、工費ともに圧縮できたと言う。
車両整備にもエピソードは多い。その一つは「動く部分はすべて動く状態にして保存する」方針に基づくこと。すなわち、クハネ581の貫通路や0系新幹線の非常脱出口など。いずれも現役時代に使わなくなり閉鎖され、長らくそのままになっていた部分もていねいに復元した。
とくにキハ81のボンネットは、もはや開け方のマニュアルも現役当時に携わった人もなく、途方に暮れた。フックと思しき部分は固着しており、押しても引いても動かない。そのうち作業員の1人がぶら下がったときにわずかに沈んだので、これだ!とばかりに2人で体重をかけると、突如として口を開いた。1日がかりの末の劇的な瞬間だった。
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