ここでマスクの生い立ちをざっとおさらいしてみると、幼い頃からの夢を見失うことがなかったパッションと、人生の随所で現実的な行動をとってきた実務的な性格が浮かび上がってくる。
イーロン・マスクは、1971年に南アフリカ共和国で生まれた。父親は建設業にかかわり、母親は栄養士兼モデルだった。両親はマスクが幼い頃に離婚。独立心を強いられる環境で育ったマスクは、小さい頃からもの作りに関心があり、小さなロケットを製作してはそれを飛ばすといった実験を繰り返していた。
そんなマスクは、15歳の時にアメリカ大陸を目指す。母親の故郷であるカナダに渡ったものの、特にはっきりした目的はなく、遠い親戚の家に居候をし、農場や木材処理場で働いたりして生活費を稼いだ。
その後、カナダのクイーンズ大学へ入学。南アフリカを後にしたのは、まだアパルトヘイト時代にあった同国での兵役を逃れるためでもある。「黒人を抑圧するために兵役につくのは、有効な時間の使い方だとは思わなかった」と後になって語っている。
インターネットなら、早く"何かが"できる
数年後にはアメリカのペンシルバニア大学へ移り、物理と経済学を専攻。その頃から新興企業のビジネスプランなどを書き始めていた。素材についてもっと学ぼうと、スタンフォード大学大学院で応用物理と素材科学の博士課程に進むことに。電気自動車のための超大容量の蓄電池を作りたいと思っていた、1995年のことだ。
ところが、まわりのシリコンバレーではインターネットが盛り上がっている。蓄電池を実現するには時間がかかりそうだが、インターネットならばもっと早く、何かができる。そう見切りをつけて博士課程進学をあきらめた。
まず、すぐに初めてのブラウザを開発したネットスケープで働きたいと応募したものの返事がない。そこで弟と一緒にコンテンツを出版するソフトウエア開発の会社を創業した。これが4年後にコンパックに買収されて、一財産を成すのである。
ペイパルの創業とイーベイへの売却がこの後に続くのだが、テスラ・モーターズに先駆けてマスクが2002年に創設したのは、実は宇宙開発のスペース・エクスプロレーション・テクノロジーズ(スペースX)だ。何でもできる資金を手にして、マスクが真っ先にやりたかったのはこれなのだ。
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