北海道の鉄道再生はフランス方式に学べ! 公共交通維持を民間だけに頼っていいのか?
ニースの街は背後に山が迫る、日本で言えば神戸に近い地形だ。ニースCPを出た列車は、街の西側にある小高い丘をトンネルで通過し、ヴァール川岸に出る。ここからヴァール川沿いに進み、山岳地帯に分け入ろうとする地点に、地域輸送の終点に当たるプラン・デュ・ヴァール駅がある。
レールはそのままヴァール川沿いに伸び、まもなく北から西へ進路を変える。途中でヴァール川の流れは北へ向かうが、鉄道はそのまま西へ伸び、ディーニュ・レ・バンに至る。
車両は多くがディーゼルカーで、ライトブルーと白の2トーンに青と黄色のストライプを巻いた1970年代生まれのX300形と、地域圏ラッピングが施された1984年デビューのX350形、赤と黄色の塗り分けが鮮烈な2010年登場のAMP800形が走っている。
このほか毎年5月から10月まで、毎週日曜日に蒸気機関車が客車を牽引する「松ぼっくり列車(トラン・ド・ピーニュ)」が運行される。維持と運行は「プロファンス鉄道研究会」がボランティアで行っている。松ぼっくりは沿線の名産物で、かつては家庭で暖を取るためだけでなく、蒸気機関車の燃料としても使われたことから、この名がついている。
乗客が少なくても経営が成り立つワケ
現地を訪れて気になったのは、乗客の少なさだ。筆者が乗ったのは平日の午後という、もともと乗客が少ない日時だったこともあるが、各車両数人というレベルであり、少し前に乗った札沼線の石狩当別以北に近かった。
インターネットの書き込みを見ると、週末にディーニュ・レ・バンに向かう列車は相応の乗客がいるようだが、年間乗客数40万人というデータから計算すると、1列車約20人であり、やはり少ない。なのにニースの駅舎や車両は新しい。経営はどうなっているのか。調べてみると意外な事実が分かった。
1911年にニース〜ディーニュ・レ・バン間が全通した当時は、民間会社の運営だった。しかし第1次世界大戦が終わると、自動車の普及が鉄道経営に影響しはじめたことから、1925年に地域圏が経営に参加している。
一方、1974年からは、世界各地で鉄道やバスの運行を担当しているトランスデヴの子会社が運行に当たった。そして2007年以降は地域圏が運行とインフラの双方を管理し、2014年からは地域交通局に業務が移管されている。つまりプロヴァンス鉄道が純粋な私鉄だったのは最初の10年あまりで、以降は上下分離方式に移行し、現在は公営交通として機能しているのだ。
ニースCP駅舎には、プロヴァンス鉄道の近代化が欧州連合(EU)の信任を得ており、欧州地域開発基金が使われていることを示したプレートがあった。欧州全体で地域交通を支える仕組みが存在しているのである。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら